言葉以前

一昨日から、またテープ起こしを始めた。今回のテーマには心が揺さぶられる。

言葉遣いであるとか、言い回しであるとか、言葉というものが気になる、こだわるたちだが、それは人と関係を結ぶのに言葉というものが不可欠なものだと信じているからだろう。

いま聞いている話は、そうした言葉より前の世界に生きる人たちのことだ。

重い精神病のために、それまで獲得したはずの言葉を失う人たちがいる。
失う、というより、必要としない、と言ったほうがぴったりくるかもしれない。言葉よりも、もっとそれ以前のぬくもりの中で伝え合っていた、赤ちゃんの世界に帰っているかのようだから。その感覚をこそ求めているから、言葉など必要としなくなったのかもしれない。

退行というかたちで言葉を失った人たちの「非言語のコミュニケーション」について、様々な事例を聞いていると胸を衝かれる。涙が出る。自分の消えてしまった記憶も呼び覚まされるようだ。
実際にその世界にいる人たちがどんな感覚なのか、どんな苦悩を感じているのかはわからない。私にはこうして気持や考えを書いたり話したりといった行為があたりまえになってしまっているから。

でも、あまりにも言葉というものに頼りすぎてはいないかと思った。
相手が何を感じているか、言葉でわかろうとし過ぎてはいないか。
固く閉じられた扉を開いてもらおうとするとき、言葉よりも効果的なノックの仕方がある。これは精神病だけに限らず、赤ちゃんも認知症の人もそうかもしれない。

読みたい本リストに追加―「精神病者の魂への道」(シュヴィング)
日常にはない世界、と一瞬思ったが、誰のことよりもまず、私自身のために大きな気づきを与えてくれそうだ。
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# by kotoko_s | 2014-02-10 00:11 | ある日 | Comments(0)

ニセモノ

佐村河内守という、読み方によっては神様みたいな名前のひとが、ウソをついていたということがわかった。
私もNHKで彼のことを知り、感動したひとりだ。ニュースを聞いて吃驚した。

有名人の作品にはゴーストライターがいるというのは暗黙の了解になっていたりもするが、だから今回のこともよくあることだよ、で片付けてしまえない気持の悪いものを感じる。
その気持悪さがどこからきているのか、自分でもまだ整理できない。

まず思ったのは、誰も音楽そのものについて言わないな、ということだった。
私はCDを買うほどの関心もなかったが、実際にコンサートにまで足を運ぶ熱心なファンとなった人たちは、今回の騒動をどんな気持で受け止めたんだろう。
騙されたから怒っているのだろうが、「音楽は素晴らしい」と影武者を絶賛したひと、いるのかな。
友人は、「あんな素晴らしい音楽をつくれるのに、なんで自分の名前で出さなかったんだろうねえ」と、影武者だった人のことを不思議がった。
まったく影武者のひとだけの力であれができたわけじゃなく、こういう感じで、という注文みたいなものが佐村河内さんから出されて作ったことも明かされたので、そうなるといったい、誰が純然たる作者なのか、そのあたりも私にはよくわからない。

佐村河内さん、と今でもテレビでは言っている。逮捕されたわけじゃないから敬称がついている。これもなんだかへんな感じだ。誰も彼を尊敬しなくなったのに。

全聾で、被曝二世で、苦痛に耐えながら作曲し続けてきたという、彼の物語にみんな心が揺さぶられたんだなあと思う。純粋に音楽そのものに感動したというよりも。
芸術とはなんだろうと思う。
事前に何の情報も入れずにひとつの作品に対したときと、それが生まれた背景を知ってからそうするのと、まったく同じ状態で受けとめられるか、ということも考える。
どんな芸術であろうと作者の人生が投影されるのは当然のことだと思うし、芸術とはそういうものだと思う。苦悩の中からしか生まれ得ないものがあり、だからこそ多くの人がそこに自身の苦悩を投影したり、カタルシスを得たりするのだと思う。
でも、あの素晴らしいと絶賛された楽曲は、作者と偽っていた彼の人生とは無関係のものだった。ということになるのだろうか。そこも考えれば考えるほどもやもやとわからなくなる。
騙されたまま感動していた私は、ばかみたい、である。でも、一体、何に感動したんだろう。

障碍をもつ友人たちや、そういう子どもと共に生きている友人たちがいる。佐村河内というひとが広島や、東北の被災地の子どもたちと関わった場面もテレビで見たけれど、特に子どもたちに対してなんてことしてくれたんだと思う。「よくあることだよね」ではすませたくない、おぞましいものを今回のことに感じないではいられない。

人間ってほんとうに、すごくすごく弱いんだなと思う。虚栄心とか、過剰な自己顕示欲とか、お金とか、いろいろ。
それにしても、世間を騙す以上に、何より自分を欺き続けていることに、よくそんなに長い間耐えられたなと思う。
どんなひとだって、そんなにきれいじゃないのだけれども。
でも、やってはならないことだった。
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# by kotoko_s | 2014-02-08 11:59 | ある日 | Comments(2)

ハトの目

今朝、夫がテレビを見ながら「たいしたもんだなあ、こんなに喋れて」と言った。
インタビューされた若いひとのコメントを聞いて、感心したようだ。

私は夫に感心した。
常々、私はうるさいなあ、と自覚している。テレビで喋っているひとの言葉にいちいち反応し、コマーシャルにいちいち反応し、ドラマのセリフにもいちいち反応する。
朝のNHKニュースがその日最初のターゲットで、今朝も「まちかど情報室」にすぐさま反応し文句を言った。

だが、夫は「そうだな」と笑っているだけでおいしそうにごはんを頬張り、さっさと出勤準備に立っていった。私の文句に本当に「そうだな」と思っているかどうかも怪しい。たいてい、笑ってすませるひとである。

そうなんだなあ。たいていのことは、笑ってすませられることなのかもしれないよ。
私のように「取っ手とお皿がくっついたカップなら、コーヒーをこぼしてもテーブルが汚れません」なんて、だったらそのお皿にこぼれてたまったコーヒーは飲むときこぼれるんじゃないの、とか、「この濃さが○○○○」とジュースの濃厚な味わいを宣伝した同じ口で「ライト売れてます」ってなんだよ、とか、「総理にお聞きをしたいと思うところでございます」の「お聞きを」って日本語ですか、とか、いちいちいちいちうるさいことを、夫は言わない。

子どもの頃、「ヘビの目で見るか、ハトの目で見るか」と、母がよく言っていた。
同じことでも、意地悪な気持で見るのと、おおらかな優しい気持で見るのとでは、自分の心もちがずいぶん違う、というのだ。
ここで大事なのは「自分の心もちが違う」という点だと大人になって気づいた。相手のことは相手の領分だ。
そういえば、小学校の卒業文集の「将来の夢」という作文に、私が『工芸家か小説家になりたい』とだいそれたことを書いたのを、先生から「評論家になるといいですね」と笑われたと母が後日言っていた。子どもの頃からうるさかったのだ。

まずは今日一日、なるべくハトの目で物事を捉えたいと思います。

でも、ハトの目って、ちょっと怖いんだけどね。
というようなことを、言わないようにします。
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# by kotoko_s | 2014-02-06 09:43 | ある日 | Comments(0)

「泣いた赤おに」考

泣いた赤おに (日本の童話名作選)

浜田 広介 / 偕成社



節分は過ぎたが、鬼の話を。
「泣いた赤おに」は有名な童話なのでおはなしは知っていたが、初めて読んだのはかなり大人になってからだ。読んでみて、これがなぜこんなに評判がいいのかわからなかった。

赤鬼は人間と友だちになりたくて、お茶やお菓子を用意し、「心の優しい鬼のうちです」と立て札を立ててみる。だが、人間は信じない。青鬼は、それでは自分が人間の村で大暴れするから、きみは僕をこらしめるといい、と提案する。赤鬼は青鬼の申し出に、それでは青鬼にすまないと思いながらも、言われたとおりにしてみるのだ。すると、人間はようやく信用して赤鬼の家に遊びに来るようになった。

ひとのよい(鬼のよい、と言うべきか)赤鬼には、人間と友だちになることと引き換えに、親友だった青鬼を失うことになるとは、思いもよらぬことだったろう。
なんて残酷なことだろうと思った。
赤鬼はそれから一生、後悔と悲しみに苛まれて生きなくてはならなかったろう。愛する友だちにそんな辛い思いをさせることが、ほんとうに青鬼の友情だったといえるのだろうか。
赤鬼の心情を思うと可哀想でならない。

青鬼の行為は、赤鬼のためにほんとうによいことだったのか。
青鬼のひとりよがりだったんじゃないか。
青鬼のしたことが単純に「美しい自己犠牲」である、という捉え方だとしたら、それはどうなんだろう、いいのか、それで、とひねくれものの私は思ってしまう。たいせつなひとのために自分を犠牲にすることの尊さ、という語られ方が多いし、浜田広介氏自身も「青鬼の深い友情」と書いているのを読んで、作者の意図がそうであるなら仕方ないなと思うけれども、腑に落ちないままだ。
もし、子ども時代に読んでいたら、そのときの私はどんなふうに感じたかな。やっぱり、「泣いた赤おに」より「泣かせた青おに」のほうが気になったろうなあ。
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# by kotoko_s | 2014-02-05 12:00 | 読む | Comments(2)

手ごたえ

今日も一日、古布のパッチワークをした。これまでにできたものは20枚。これは11枚の端切れをつないで30センチ角の1枚の布にしたピースの数だ。
このピースを数枚合わせて風呂敷、座布団やクッションのカバーもいいなあと思うが、ここで小さいものを作ってしまうとまた炬燵掛けまで遠くなるので我慢する。
色合わせを決め、手縫いでつないでいく。だんだん大きくなる。楽しい。やめたくない。家族がいてよかった。時間がくれば食事の支度もするから。
昨日も今日も、一歩も外に出なかった。冬ごもり中の虫になった気分だ。
手仕事が始まるとパソコンに向うのが億劫になる。

「手ごたえ」というのは、なるほど、こんな感覚のものなのだなと思う。
手を動かして、かたちとなって見えるもの、さわれるものが出来上がると、安堵するような気持になる。それをしていると私らしいなあという感覚になる。自分の体の中にあるものが、偽りなく表現されているという実感がある。
それに、作ったものは家族が喜んでくれる。
だからいつも、家で使えるものを作る。暮らしが楽しく、美しくなるものを作りたい。
それは、義母や義父の着古した野良着や着物や布団皮などの始末でもある。

こういうものづくりは、奥会津に暮らすようになってからだ。
この地に導かれてきたことは恵みだった。
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# by kotoko_s | 2014-02-04 23:39 | 作る | Comments(0)

奥会津に暮らす


by haru
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