機嫌

今日は3月4日。少し遡って書いているのは、やっぱり毎日なんでもいいから書いていないと、なんだかすごく億劫になるなあと危機感みたいなものに迫られて。
誰のためでもない日記、休んだってどうということもないのだが、たいそうなことを書こうと思うから書けない、とにかく毎日書きなさい、と宇野千代先生もおっしゃった。

3月2日(日)、この日は機嫌がよろしくなかった。
家での仕事中に、昼食時間になってしまった。追い立てられるように支度をする。
夫が行ってくれてもいいのに、午後からの寺行事にはやっぱり私が行った。
寺は寒くて、80歳を超えるお坊さんはぐにゃぐにゃした声でお経を唱え、合同法要のための名前の読み上げを何人もすっ飛ばし、その上、新しく書いていただいた塔婆の内容が間違っていた。
いいお坊さんならそれもむしろ有り難いみたいな気持になるかもしれないが、いい人とは誰も言わない。

そんなこんなで一日中、機嫌が悪かった。
仕事といったって、別に私が家計を支えているわけでもない。趣味みたいなものだ。
時間がくればお昼ごはんを食べたいのは家族にとってあたりまえである。
誰の法要だ、あなたのおばあさんでしょうが、と思ってみたところで、寺のことはこれまでもずっと妻の私が代理で行ってまいりました。夫を責めるほどのことでもない。
欲が袈裟をまとっているようなお坊さん(こんなひどいこと言ってバチがあたるかもしれない)だって、お釈迦様があの人の姿を借りて、人間の弱さ、ずるさを私たちに教えてくださっているのかもしれません。

今日は機嫌が悪くてごめんなさい。
布団にもぐりこんで言ったら、いびきをかいていた夫が「ん」と返事をした。
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# by kotoko_s | 2014-03-02 23:59 | ある日 | Comments(2)

満ちてくる

午後、某所にて、「ダンボールの裂き織」ワークショップをする。
予定では10人ほど参加するはずだったが、お葬式が重なってほぼ欠席。
そのかわり、お馴染みの気心知れた3人と気楽な時間がもてた。

初めて「ダンボール裂き織」のワークショップをやったのは8年ほど前のことだ。
あのときは、心の病気などで家から出にくい人たちと一緒にやった。毎週1回、同じ時間、同じ場所に材料を広げ、周りに座布団を丸く並べておく。毎回参加してくれる人、たまに来て瞬く間に仕上げていく人、からまった布をほぐしてくれる人、そばにいてずっと歌ってくれる人、ただ見ている人。何人かの人には、そこが安心していられる場所になったようで嬉しかった。
半年ほどだったが、膨大な量の作品が出来上がった。順繰りに喫茶店の壁面に展示してもらい、たくさんの人に見てもらった。

去年、しばらくぶりにこれをやった。また楽しかった。今度は一般に公開された場所だったが、やり始めると夢中になるのは同じだった。黙々と手を動かしていた男性が「楽しかったです」と呟いて、作品をリュックにぶら下げて帰った。

ちゃんとした機(はた)がなくても織物はできる。古今東西、そうやってきたんだもの。
「なんか、古い古い脳が蘇ってくるんだねえ。気持いい」と、今日参加してくれたひとりが言った。
不思議なことに、これをしているとなにかが満ちてくる。
失敗とか、間違いとか、ない。どんなふうになってもOKだから。

今回も喜んでもらえて嬉しかった。
毎週土曜日の午後、やろうよ、ということになった。
ひとりで織ってもいいのだけれど、みんなと一緒だとなお楽しい。
場所を提供してくださったEさん、ありがとう。
誰よりも楽しんだのは、きっと私です。
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# by kotoko_s | 2014-03-01 23:40 | 作る | Comments(0)

素朴なもの

義母が米寿の記念に手縫いでリュックサックをこしらえた。
といっても、毎年、長い冬のあいだの「手ワッサ」に何かしら作っているのだけれど、今年はやはり、特別な思いがこめられたらしい。
自分用にひとつ。誰が背負ってもいいからともうひとつ。
手のひらにおさまるミニサイズを7つ。まだなにやらちくちくやっているが、一応、ここまででおしまいにした。

おしまい、というのは、地元で来月開かれる手仕事の展覧会に出品するからだ。
マタタビや山ブドウの蔓、ヒロロ(ミヤマカンスゲ)で編まれたザルやカゴがほとんどの中で、義母が作ったような素朴な布仕事はごく少ない。

義母の手縫いのリュックは、古い布でできている。
昔、よそゆきに買って大事に箪笥の底にしまったまま、一度も袖を通さなかった羽織である。
義母の箪笥に、絹ものはない。木綿か、安い化繊だ。ほどいてアイロンをあてると化繊独特のにおいが立ちのぼって、私はすこしせつなかった。
美しい紫。おかあさんの大好きな色だよね。

裏地はこれでいいべか、紐はなに色にすんべか、派手でねぇのか、まっと太いほうがいいんでねぇか、買ってきてくろ。
毎日部屋から抱えてきては、家族を巻き込んで大騒ぎで仕上がっためごい手仕事。


先日、聞いた話の中に、心にとまる言葉があった。

『素朴になる、というのが実は人生的な課題なのです。
それは魂の修練の結果なのであって、赤ん坊が素直だ、素朴だ、というのとは違う。生きているうちにたくさんの経験を通して、素直に、素朴になる、人の下僕になれる。素朴ということは、実は深い、難しい修行ではないでしょうか』


手仕事の展覧会では、たくさんの賞が用意されている。
丹念に編まれた見事な編み組細工はもちろん素晴らしいのですが。
義母のささやかな手遊びも、ちゃんと見てね。裏も見てね。

「皆んなが何時までも
元気でいられるよう
祈って居る
   八十八才 ○○○」

とマジックで書かれた震える文字。
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# by kotoko_s | 2014-02-26 10:03 | 作る | Comments(2)

生きたいように

この冬はほとんど家から出ずに過している。それが不思議と苦にならない。
こんなに楽な冬は、この地に来て初めてではないか。豪雪地には珍しく、雪の少ない冬(といっても周りはまだ1メートルを越す雪の壁だが)ということも大きいが、なにより、家の中に誰がいようと、好きなことができるようになったからだろう。

昨日はすこし吹雪いていたが、空は弱い光ながら明るかったので、いつもより遠くのスーパーに出かけた。道の雪も日陰以外はほとんど消えて、運転が楽だった。
買物をすませたあと、いつものように隣りの本屋で立ち読みする。DVDのレンタル屋に申し訳程度にくっついている本売り場だが。
平台の雑誌の表紙を眺めながら歩いていたら、バーンと「草間彌生」が飛び込んできた。真っ赤なおかっぱ頭に水玉のワンピース。『婦人公論』の『人』が水玉になっている。その表題の上に
「生き続けていなければ自殺していた」
うん。生き続けていなければ自殺していた。このひとの人生を思えばまさにそうだと、このヘンな言葉に納得しつつもう一度見ると、「描き続けていなければ」だった。
グラビアの写真がすごくカッコいい。篠山紀信だ。それにしても草間さんはきれいだなあ。桃色がかった色白だ。迷わず買い、車に戻ってゆっくり記事を読む。

「子どものときから無我夢中で、毎日毎日、たくさんの絵を描きました。その間に精神科医がいろんな症状を治してくれましたけれど。それでも、とにかく描いてないと、鬱になって、大変なことになります。絵を描くのに夢中になると気持ちを転換することができるのですが、四六時中絵を描いていないと自殺しそうで大変なのです。
だから、生きたいように生きることは、幼い頃から私にとって必然のことでした。」
                                (婦人公論2014/2/22号)


強迫神経症、統合失調症による幻聴や幻覚から逃れるために描き続けられた膨大な作品は、作家自身を守る―「耳なし芳一」の全身に書き込まれたお経のような―呪文であるともいわれる。
1929年(昭和4年)生まれの83歳。

「世間の目や、古い道徳にしばられて、ただお嫁に行くのを待つよりも、スーツケースひとつさげ、物乞いをしても、野宿をしても、自分の好きなことをして生きるべきなのだ。私のように。」                 (婦人公論2014/2/22号)


今回はこれが私に与えられた生き方だったんだなと、私は最近になってようやくあきらめがついた。
苦しいとき、もうダメ感に堕ち込んでいるとき、草間彌生の目を見ると、ほっとする。あの痛いように強い、宇宙を凝視しているかのような澄んだ眼差しを見ると、同志を得たような心もちになる。
誰といようが、ひとりでいようが。どこにいようと。
自分自身でいたい、ただそれだけをずうっと願っている。


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# by kotoko_s | 2014-02-19 14:05 | 読む | Comments(0)

夫と街へ出る。初売りに出かけて以来だから、ひと月以上ぶりだ。冬は雪道運転が怖いので、ひとりでは遠出しない。
いつものショッピングモールをなんとなくぶらぶらして、いつものように本屋で待ち合わせし、遅めのお昼を一緒に食べる。彼はカキフライ定食、私は鍋焼きうどん。カキフライは小さい。海老を1匹、夫にあげた。

「オール讀物」3月臨時増刊号を買う。表紙に、今回の直木賞に決まった姫野カオルコと朝井まかてが並んで立っている。この2人と、私は同年代なんだな。

夫の靴を買う。履いてきたものは底が擦り切れて捨てたいという。片方にちょっと足を入れてすぐ「お、これいいな、これでいい」と言う夫に「だめだよ、靴はちゃんと両足履いて歩いてみないと」と何度も言う。店員さんがいつのまにかいなくなったので、何足も勝手に持ってきては試し履きして、決めた。履いてきた靴は処分してもらう。

帰り道、澄んだ水色の大きな空が気持よかった。山々の頂のあたりに薄い雲がたなびいて、陽炎のように見える。歩けば風は冷たいけれど、もう真冬の鋭さはない。山裾に広がる平野はまだ一面の雪だが、日当たりのいい場所にはいろんな色が見えている。屋根の赤や青。
トンネルを抜けると、道の両脇の雪の壁が一段と高くなる。杉木立ちの黒っぽい景色に変わる。夕方4時というのにまだ明るい。日が長くなった。

義母に、福田こうへいのCDを買った。いいなあ、上手なんだ、好きだ、と何度も言っていたので。
さっそくかけて大音響で聴いている。演歌は、私にはやっぱり苦手だが。
歌詞カードの字が小さくて読めないので、拡大コピーした。1枚コピーして確認すればいいものを、全部やってしまった。まだちょっと見えにくそう。もっと大きくしたほうがいいみたい。
なのに、「しあわせだ、こんなによくしてもらって」と言ってくれる。

老いた義母をひとり家に残して、ふたりで出かけたことがちょっとだけ、申し訳ない気持だった。だから早目に帰ったのだけれど、あんなに喜んでくれて、なんだかもっと胸がぎゅっとした。お義母さん、ありがとう。
それからとーちゃん、今日は久しぶりに一緒に出かけられて嬉しかったです。ありがとう。
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# by kotoko_s | 2014-02-11 23:37 | ある日 | Comments(2)

奥会津に暮らす


by haru
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