母なるもの

精神病者の魂への道

ゲルトルート・シュヴィング / みすず書房




最後に付された訳者あとがきを含めても170ページほどの短い本。
1940年に発行され、日本語訳の発行は1966年。

著者のシュヴィングは、看護師として精神科クリニークで働いていた。
拘束衣に縛られたり保護室に閉じ込められたりするような興奮状態に陥るか、ただベッドに寝たまま食べず飲まず外界との接触を拒絶している人たち。
次々と登場する症例を読みながら、度々目を閉じたくなった。
幼少時に受けられなかった愛情を、子どものように無意識に渇望する患者の心が強烈に迫ってきて、胸が苦しくなる。

彼女たち(患者はみな女性だった)に対してシュヴィングがしたことは、そっと寄り添うことだった。母であり、姉のように。

フロイトの精神分析の訓練を受け、精神医学やほかの医学も学んだ専門家ではあったが、彼女が患者に寄り添うときの親しく、しかも静かで信頼に満ちた態度は、彼女自身の人間的資質によるものだろう。
孤独の闇に放っておかれた人が、はじめて愛と慈しみに触れ、温められ、次第に目を開いてゆく過程は感動的だ。
彼女はやがて自身の結婚、出産を理由にこの「職場」を離れることになるのだが、その若さでここまで成し得たということに改めて驚かされる。

心にとまった箇所に付箋を貼っていったら付箋だらけになってしまったが、その中の一節。

「ただひたすらに母性的なことに当たることだけが、すなわちもっぱら他の人を助けようと願っている人たちだけが―沈黙している病者や反応のない人たち、また自分自身とその内界に没入している人たちに手をさしのべることに成功するのである。」 (「精神病者の魂への道」)

隣人のために助けになりたいと思うとき、専門家でなくとも、この本からシンプルで大切なことを学べる。
それは、自分自身がいつでもそうしてほしいと願うこと―ありのままを愛するということ。
母なるものを自らの内に育てることだった。

# by kotoko_s | 2014-03-13 20:32 | 読む | Comments(2)

まっとうなこと

午前中は義母の病院につきそい、帰って一緒にお昼を食べてから少し横になり、午後、義母の薬をとりに山を降りた。
用がすんで、いつものところに寄る。昨日の作業の続きをしながら、年上の友人と話す。昨夜はなんだか寒くて眠れなくて、と言うと、友人も、足が冷えて眠れなかった、と言った。
感覚が近いので、なにを言いたいのかお互いによくわかる。
昨日はテレビなんて見られなかったね、と話した。
だから、東京で行われた震災の追悼式の詳細も知らなかった。でも、友人の家族が見ていて、教えてくれたのだそうだ。

伊吹文明衆議院議長の追悼の辞

これを読むと、まだ希望はあるかもしれないと思う。まっとうな言葉を聞けた、という気持になる。
原発事故に言及しない追悼などあり得ない。
この言葉に不快感を示すという、その感覚こそ異常である。
# by kotoko_s | 2014-03-12 23:10 | 3.11以後

3年

震災から3年たった。
いつもの倍以上の厚みの新聞が届くが、読む気持になれない。
午後2時46分。町の防災無線の合図が鳴る。作業中の仲間たちと黙祷する。

家族を失ったひとの言葉を聞くと胸がつまる。
ここにあることに感謝して、生きていこうと思う。

声高な物言いから遠く。
目に立つ場所から遠く。





# by kotoko_s | 2014-03-11 23:14 | 3.11以後

魂の声

朝6時に起きたときはまだ小雪が舞っていたが、まもなく晴れて明るい空が広がった。嬉しい。寒くても晴れた日は気分がぐんと軽く明るくなる。風が強い。今年は寒いなあ。

一昨日からなんとなくだるく寒くてたまらず、夜になっておなかの具合がおかしくなり眠れなかった。昨日は日曜日で夫が休みだったので、午前中ずっと寝ていた。ちょっと起きたりまた炬燵にもぐりこんだり、一日だらだらさせてもらって、昨夜はぐっすり眠れた。今朝はだいぶいい感じ。

毎年、だいたい今頃になると同じように胃腸をこわす。今回は軽かったけれど、毎回、夜中に苦しむ。家族はなんともないから、私の体に原因があるのだろう。

うつ病になったとき、主治医のドクターにこんなことを言われた。
「あなたの魂が、もうこんな生き方は嫌だ!と苦しみの声をあげているんだよ、その肉体を借りて」
うつ病は辛いものだ。食べられないし、たとえ何か口に入れても砂を噛むのと同じ、まったく味がわからなくなる。眠れない長い長い夜は、悪いことしか浮かんでこない。体は衰弱して動けなくなる。
体ってありがたいものだな、と今はドクターの言葉の意味がよくわかる。

自分には、他人から評価されるほどの能力がないとか、頑張っているのに認めてもらえないとか。
そんなつまらないことにかかずらっていたことが、体調を崩したことでどうでもよくなった。とにかくこの苦痛さえ消えてくれれば、あとはもうなんでもいたします、神さま、助けてください、と苦しいときの神頼みだ。
頭ではわかったつもりになっていても、身を以って感じないと納得しないのだろうと、これは私の魂が教えてくれたことなんだろうと思う。何度やっても懲りないから、何度でも、魂は悲鳴をあげる。

いつもは開かないメールマガジンを、なぜか今朝は読んだら、こんなことが書いてあった。

「身体の大切な部分を司る脳は、自分を苦しくさせる考え方をすると、
その考えが脳のあらゆる部分にいきわたり、ホルモンのバランスを崩します。
これは私たちの脳の構造が、そのように作られているのです。
ネガティブなことを考えていれば、ストレスホルモンを作るように指示が、
ポジティブなことを考えていれば、幸せホルモンを作るように指示がいきます。」

よく言われていることだけれど、体が辛くなると、まったくそのとおり、と実感する。毎年、今頃になると決まって同じような症状が出るのも、長い冬に溜まったいろんな澱のようなものが浄化されるために出てくるのではないかしら。


まずは今日一日。無理をせず、楽しく、健やかな気持で過せますように。
# by kotoko_s | 2014-03-10 09:33 | ある日 | Comments(2)

会いに行く

若い友人は、近所に住んでいたおばあさんを訪ねて、時々、街の老人施設に行く。
先日は、別れ際に泣きながら手を握られ、なかなか離さなかったという。
「あんなこと初めて。びっくりした」と友人は言った。
おばあさんは昔、学校の先生をしていた。
友人がいつもおばあさんに「先生」と呼びかけるので、施設にいるほかのご老人たちもいつのまにか、「先生」と呼ぶようになった。
みんな、ほんとうに心から尊敬したように「あなたは先生だったのね、立派ね」と言うのだという。
言ったそばから忘れてしまうので何度も「先生、立派ね」と言う。
そのたびに、聞いたとたん忘れてしまうおばあさんの表情が嬉しそうに明るくなる。

若い友人は、おばあさんの身内ではない。でも、時々そうして訪ねて行く。
おばあさんはもう、彼女が誰かはわからなくなっていて、でも、顔を見ると懐かしそうな表情になるという。
おばあさんは元気でばりばり働いていた頃、厳しいひとだった。
ずけずけものを言うし、わがままを通すし、弱いところは見せたことのないひとだった。だから、あんまり親しい友だちができなかったかもしれない。
でも、今は孫ぐらいの可愛い友人が時々会いにきてくれる。

いいなあ。素敵なことだなあ。
ちょっと足をのばして、会いに行く。
数時間でもその人のために差し出すということ。
その気になればすぐにでもできそうなことが、なかなかできないものだ。
おっとり優しい若い友人が教えてくれた、大事なこと。ありがとう。
# by kotoko_s | 2014-03-07 23:08 | ある日 | Comments(2)

奥会津に暮らす


by haru
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