会いに行く

若い友人は、近所に住んでいたおばあさんを訪ねて、時々、街の老人施設に行く。
先日は、別れ際に泣きながら手を握られ、なかなか離さなかったという。
「あんなこと初めて。びっくりした」と友人は言った。
おばあさんは昔、学校の先生をしていた。
友人がいつもおばあさんに「先生」と呼びかけるので、施設にいるほかのご老人たちもいつのまにか、「先生」と呼ぶようになった。
みんな、ほんとうに心から尊敬したように「あなたは先生だったのね、立派ね」と言うのだという。
言ったそばから忘れてしまうので何度も「先生、立派ね」と言う。
そのたびに、聞いたとたん忘れてしまうおばあさんの表情が嬉しそうに明るくなる。

若い友人は、おばあさんの身内ではない。でも、時々そうして訪ねて行く。
おばあさんはもう、彼女が誰かはわからなくなっていて、でも、顔を見ると懐かしそうな表情になるという。
おばあさんは元気でばりばり働いていた頃、厳しいひとだった。
ずけずけものを言うし、わがままを通すし、弱いところは見せたことのないひとだった。だから、あんまり親しい友だちができなかったかもしれない。
でも、今は孫ぐらいの可愛い友人が時々会いにきてくれる。

いいなあ。素敵なことだなあ。
ちょっと足をのばして、会いに行く。
数時間でもその人のために差し出すということ。
その気になればすぐにでもできそうなことが、なかなかできないものだ。
おっとり優しい若い友人が教えてくれた、大事なこと。ありがとう。
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# by kotoko_s | 2014-03-07 23:08 | ある日 | Comments(2)

足跡

某所で一日、パソコン入力の作業をする。
いまや原稿用紙に鉛筆で書かれた原稿というのも、珍しくなったのではないか。
走り書きのような薄い鉛筆文字なので、なかなか捗らない。今日で3日目。夕方近くには終わり、ほっとした。

どんな小さなことだって、そこに一生懸命取り組んでいるのだから、立派な仕事だ。
必要とされているんだと思う。
なのに、時々、くたびれる。
度々しているテープ起こしや入力の作業は、自分の学びになる、誰かの役に立つという理由で続けてきたけれども。
もしかしたら、自分は便利やさんになってしまったのではないか。

嫌な考え方だなと思う。
自分が軽んじられているように感じると、誰でも腹が立つものだろう。
見返りを求めずに始めた頃の気持を思い出してみる。
あの頃とは、見ている方向が変わってきたのかと思う。
なんとなく、さびしいような、つまらないような気持で帰った。

一日中、雪だった。時折吹雪いて真っ白になる。
啓蟄だというのに、どこからも何も這い出してこられないような寒い日。
2階の窓を開けると、頬を刺す空気が流れこむ。
裏の黒々とした森がざわめいて、色のない空を突き上げるように揺れている。
その足元の暗闇から、ちいさな足跡が雪原の上に続いていた。
まっすぐ来たところで曲がったり、一箇所でぐるぐる回ったような跡も見える。
何を見つけたんだろう。
キツネか、イタチか、野ウサギか。
足跡は吹きすさぶ雪にかき消されながら、雪が小やみになるとまた現れる。

なんということもない、このあたりではよく見る風景だが。
今日はしばらく目を凝らしていた。
私も過去の足跡をこんなふうに俯瞰して眺めてみたくなった。
それは、今、ここまで続いているはずなのだ。無駄だったことはひとつもない。

でも、そろそろ方向を変えてもいいかもしれない。



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# by kotoko_s | 2014-03-06 23:59 | ある日 | Comments(0)

脳のはなし

仕事が手を離れたのでゆっくりした。
届いたままになっていた「明日の友」早春号を読んでみる。
脳は100歳でも進化するそうだ。
人と会うために外出したり、趣味をもつことが脳を活性化することは聞いていたが、使えば使うほど「育つ」臓器だということは知らなかった。育つなら、育てるかいもあるという感じがする。
おもしろかったところをちょっと書いておく。

「脳内では、胎児の頃から持っている潜在能力細胞が、80歳、90歳になっても働く準備をしている。確かに脳はほかの臓器と同様、老化するが、年老いても使われていない部分、年を重ねなければ使いこなせない部分があり、使われるときを、今か、今かと待っている」
「あきらめてしまったり、希望を捨ててしまったりすると、潜在能力細胞が成長する機会をもらえず、脳の衰えにつながる。脳は成長しなければ衰える方向に向かう臓器。しかし、衰えたところも鍛えれば、各脳番地の相乗効果で、どんどん脳の機能は高まる」
「社会で脳力を発揮し、さらに向上するために、脳はある分野に特化して、より個性的になる。年をとって理解力が落ちる原因のほとんどは、その人が『知りたいことを中心に知る生き方』を続けてきたためだ。知ろうとしなかった分野や関わらなかったことには、人の脳はまるで活動しない」


そうか!と膝を打ちたい気分になった。私は数字が苦手で、科学的な記事はちらと見ただけで逃げるように避けてきたけれど、それがそもそも、科学的なものの見方ができない要因のひとつだったのか。

60代は脳環境の見直しの時期、といい、こう続いていた。

「脳環境とは、その人の脳に情報をもたらす要因である。仕事、家族や友人、趣味や将来の目標に関わること、日常の過し方など、その内容や比重は人によって異なる。これらの項目を整理して、今までのつきあいや流れで、仕方なくやってきたことを減らし、逆に、情報や関わり方を増やしたいことに時間の比重を置いてみよう」

人づきあいなど、面倒だからといってまるっきりすっぱり切れるものでもないけれど、それだって自分がそうしていると意識しているだけでずいぶん違うんじゃないか。相手や環境のせいにしていたら、いつまでたっても嬉しい脳には育たないだろう。
そして、やっぱり、手放すことだと思う。自分にとって大切なこと、人、そこにこそ時間やエネルギーを注ぐべきなのだ。

自分の脳ミソがおいしく熟成するように生きていこうと思います。

午後は少し中断していたパッチワークをする。3組できた。
好きなことをやったのでこれもまた、脳が喜んだ感じ。
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# by kotoko_s | 2014-03-05 23:40 | 読む | Comments(0)

聞き取れない部分

朝はなんとなく、うつうつとしていた。昨夜、少し無理をしたから寝不足だし。そうでなくてもたいてい、朝はあんまり調子が出ない。

今日で手放したい仕事があったので、午前中はずっとパソコンに向かう。
時々依頼されてテープ起こしの仕事をする。決まった場所の、特定のテーマに沿った内容なので、専門用語にも慣れた。話す人もほとんど同じだから口癖まですっかり聞き覚えた。
ただ、とてもゆるい雰囲気のところなので、録音もあまりきちんとされていない。私語がかぶったり、隣の部屋の声が聞こえたり、くしゃみ鼻水咳こむ音まで盛大に入って、肝心の部分がまったく聞き取れないこともしばしば。はあ。

普段から何気ない生活音が気になるほうだ。エアコンの音、テレビの音、遠くのサイレンや移動販売車の音楽。人工的な音が苦手なのかもしれない。
テープ起こしをしているとき、特にその感覚が浮き上がってくるようで、どうにもこうにも耐え難い気持になってしまう。聞き取れないことがストレスになる。なんでちゃんとできないんだろう。完璧欲がふつふつと湧いてきて苦しくなる。

まずいなあ、と思う。
ちょっとぐらい抜けたってたいしたことないじゃん。と思ってみる。

もともと、きっちりやりたいたちである。
ゆったり、のんびり、というような言葉を好んで使うような人ほど、実はその逆のパーソナリティをもっているような気がする、偏見だけど。

私みたいにちょっとこだわりの強い、いや、もっと本格的に大変な人たちの人生を聞かせていただくと、すごく心が動かされる。人ごとではないからだ。
だからこのテープ起こしを続けているんだと思う。これが何かにまとまるとか、そういう将来的展望はほとんどないけれど、文字に印すという作業を通して、音で聴いているだけのときよりはるかにしっかりと、彼らの言葉の意味が胸に落ちていく。

こんな雑雑としてちゃんと聞き取れないような、いい加減な世界に、光が見える。
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# by kotoko_s | 2014-03-04 16:39 | ある日 | Comments(2)

只見川

某所に寄る。先日の段ボール裂き織のことを話す。初めて体験したEさんは、家に帰ってからも夢中で織ったとのこと。「実際にやってみるとわかるねえ。これはすごくいいわ」と言う。ここでするだけじゃなく、少し遠く、もっと広く、といろいろ話した。

もう3月だからハイネックはやめて、久しぶりにクルーネックのTシャツを着たが、やっぱりまだ寒かった。スカーフを巻いても首の後ろがすーすーする。
隣町のスーパーに行く。雪は舞っているが、空は明るんでいる。道も乾いているから運転がとても楽だ。只見川を横に見ながら走る。柳津のあたりから水量が増える。エメラルドグリーンの川面が岸辺の雪を映して夢の世界のよう。うっとりする。
3年前の豪雨災害のあと、まだごく一部だが、ようやくこの風景が戻った。豪雨で氾濫した後、川岸はむき出しの土の色のまま、ところどころ青いビニールシートがぺったり貼りつき、護岸工事の重機が何台も川べりを行き来していた。
水かさの減った川は景色が一変した。川底に下りていけるほど幾重にも削られたような明るい土の段々。河岸段丘とはこういうことかとよくわかった。昔はそこに集落があった、これが本来の只見川だよ、と古老に教えられた。
でも私はそれを知らない。いつまでたってもこの景色は見慣れなかった。やっぱり満々と水を湛えた只見川がほっとする。でも、これは自然の姿ではない。ダムで水量を調整されている川なのだ。そうと知っても、きれいだなあと思う。きれいだと感じることが、悪いような気もしながら。

買物をすませ外に出ると吹雪に変わっていた。細かい雪の礫が真横に飛んでいく。風が冷たい。首をすくめて車まで走り、エアコンをかける。音楽が流れる。今、車で聴いているのは「RENT」。好きな映画だった。その中でもお気に入りのナンバーを何度でも繰り返し聴いている。

ムラにさしかかると雪は静かになった。スローモーションのようにゆっくり、ゆっくり舞っている。空中で止まっているみたい。車庫から重い荷物を両手にさげ、傘をさして家まで歩く。吹雪がやんでよかった。
夕飯は久しぶりに、夫の好物のハヤシライスを作った。厚揚げの煮ものもおいしくできた。
夜中まで、少し無理して仕事をする。夜は一番、落ちつく。
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# by kotoko_s | 2014-03-03 23:13 | ある日 | Comments(0)

奥会津に暮らす


by haru
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