Spring ephemeral

お彼岸が明けたとたん、冬は終わった。
毎朝6時に2階の窓を開け、物干し棹にぶら下げた温度計を見る。ここ3日間、零下じゃない。それに夜明けが早くなって、6時ともなればもうすっかり辺りが明るくなっている。ついこの間まで、懐中電灯で温度計の目盛りを読んでいたのに。

昨日の夕方、急いで車を走らせて家に向かう途中、左目の端にキクザキイチゲが!間違うはずもない、よく知っているのだもの。
ああ、今年も来た!
山の端から届く名残りの日の中に、ぽうっと浮かぶ白っぽい花。閉じてうつむいていたようだった。

今日、午前中の太陽が高く昇った頃に、そこを通る。車を道端に停め、カメラを持って山斜面についた階段を登る。一年ぶり。眩しい光の中で、春一番の花が胸を張って咲いていた。雑木の足元を覆う枯れ葉を押し上げ、小柄な草の群れが光に向かって一斉に伸びている。花は淡い紫色だ。あんまり光が強すぎて、花の色がカメラに写らない。小さな蜂が忙しそうに飛びまわっては、花の中に顔を突っ込んでいる。

毎年、雪融けの速まるこの時期になると、この花に出逢えるのを心待ちにする。この場所が一番先に咲くが、今年はいつもよりずいぶん早かった。
昨日、会津若松から来た親戚が「この雪!信じられない」と吃驚していたけれど、今冬は楽だったのだ。毎日降らなかったから。
それでもやっぱり、冬は長い。

春一番のこの花を見ると、私はいつも頭が変になったような感じがする。体がむずむずして、思わず歓声を上げてしまう。咲いた、咲いた、と誰彼なしにつかまえて教えたくなる。

ありがとう、ありがとう!春がきた!
# by kotoko_s | 2014-03-28 23:30 | ある日 | Comments(4)

いじめ

騒がれている女性科学者をネタにしたおふざけの記事が、インターネットサイトのデジタル新聞上に掲載されたらしい。不適切だったとして削除し、ネット上に「おわび」が3行ほど出た。
話題となっている女性のしたことは別として、彼女をそこまで笑いものにする権利がいったい誰にあるのか。多くの人に少なからぬ影響を及ぼす「大新聞」がそういうものを掲載する神経をうたがう。
新聞といったら、昔はうちにいた猫だって跨いだりしないで避けて歩いたほど、大事にされていた。我が家は様々な新聞をとっていた。どれも父が読まないうちは手をつけることを許されなかった。特に、今回のこの大手新聞は田舎の家のちいさなちゃぶ台の真ん中にあって、特別な存在感を放っていたものだ。

インターネットの情報は瞬く間に広がっていく。その上、ネットの文字から受ける印象は紙媒体のそれより強烈な感じがする。悪意に満ちたものは言うに及ばず、ふざけただけのつもりであっても、それを見た当事者が何を感じ、どれほど傷つくか、想像してみるだけでわかるはずだ。ネット上のトラブルやいじめが絶えないのは、想像力のない、無責任な人間が増殖しているということだろう。

マスコミという立場にいる人間は、もっと自重したほうがいい。新聞然り、テレビ然り。ことに最近の、持ち上げてはドンッと落とす、その振り幅の大きさ、白か黒かの単純な結論づけ。報道の幼稚さに唖然とする。

そしてもっと嫌な気持になるのは、冷たさだ。ワルイヤツには何したっていいだろう、っていうような。そういうことを、プロの書き手と新聞がやっちゃあ、おしまいだ。
# by kotoko_s | 2014-03-27 09:33 | ある日 | Comments(0)

ありのままで

今日でお彼岸が明けた。親しくしているお寺の娘さんが、いくつかの漢字ひと文字を続けてお経のようにすらすらと唱えてから、「お彼岸は修行の期間だから」と言った。

義母から教わったとおりに、彼岸の入りに白い団子を一皿、仏壇に上げる。中日にはすこし大きめの団子を一皿。そして「お帰り」の日は、小さめの団子を二皿上げ申す。「上げ申す」という言い方も、義母の真似をしている。お帰りに二皿というのは、一皿はあの世で待っている無縁仏さまたちへのお土産だという。
団子一皿は11個から12個。小さめの皿にピラミッドのように盛る。ノートに「ハレの食」の記録をしていて、団子粉何グラムで団子いくつ出来た、と書いてあるので、それを見ながら支度する。毎年のことで自分でやっていることだが、そのたびにノートを確認すると安心してとりかかれる。団子のほかに、それぞれの日に上げ申す料理もだいたい決まっている。
団子粉はうるち米にもち米を混ぜて挽いたもの。スーパーにも「団子粉」として売っているが、義母が昔から買っている地元の店に、私も頼んでいる。たまにうす黒い団子になったりする。そういうときは、蕎麦粉を挽いたあとだ。

寺の娘さんの話によると、地元の人達が彼岸の入りに「仏さまがいらっしゃった」と言い、彼岸明けになると「お帰りになった」と言うのは間違いだそうだ。仏さまが家に戻ってきたり、またあの世に帰ったりするのはお盆のときだけらしい。あとはずっとこの世にいるのか、あの世にいるのか、それは何度聞いてもわからなかった。

義母は今年も仏壇の前にぺたりと座り、「トーチャン!団子いっぺぇ上がったぞ。これ持って帰らっしぇ。○○にもやってなあ。○○にもやってなあ。土産なんだから、ちゃんとやってなあ。気ィつけて帰ンだぞ。舟銭もここサ上げたから。まっすぐ帰らっしぇ。こんだ来ンのはお盆だ。それまで達者でいるんだよ。オレのことは心配いらねぇから」

あの世に行ったひとに「達者で暮らせ」も可笑しいが、義母の挨拶はその後もしばらく続き、その真剣さに胸がしんとした。
間違えているかもしれないが、帰ってきたり行ってしまったりするのが義母の大事なことなら、それでいい。

お彼岸が明けると共に、気温が一気に上がった。雪をまともに見ないように気をつけるが、それは難しい。目がちかちかする。麦わら帽子をかぶって庭の雪消しをした。


「アナと雪の女王」の「Let It Go」、いいなあ。劇場で観たい作品だが、この曲だけ何度も聴いている。
イディナ・メンゼルの声は素晴らしい。このひとは、「RENT」でも素敵だった。




日本語吹き替え版の松たかこも悪くない。訳詞が気に入っているのでこちらも。





「ありのまま」でいたい、そのままを愛してほしいとは誰もが願うことだろうが、自分のありのままを知っているひとがどれほどいるだろう。
# by kotoko_s | 2014-03-24 23:12 | ある日 | Comments(0)

初日

昨日はゆっくりした日曜日だった。家族みんなそれぞれの部屋で好きな時間を過ごしている。
私は留守番もかねて居間にいた。炬燵にあたって久しぶりにパッチワークの箱を開ける。テレビを見ながらちくちく。30センチのピースが3組できた。

珍しく見た番組で、企業の研修を紹介していた。あまり関心がないので消そうとしたら、ゲストの女性の言葉に引きつけられ、そのまま見続けることにした。アイドルグループ総勢300人の「総監督」の立場だという22歳(たしか)の彼女は、これまでも教育番組などによく出ていたが、なるほど、しっかりした子だなあと初めてその言葉を聞いて思った。
番組の視聴者から寄せられる質問の中に「自分より若い人が注目されたりよくできたりしたときの対処はどうしますか」というのがあった。それに対する彼女の答えはこうだ。
「対処?自分より若い子が自分にない光るものを見せてくれたら、嬉しくないですか?まず、そういう子が出てくると組織全体がよくなる。私はすごく嬉しいです。ああ、素敵、だから君は人気があるんだねえって言ってあげたい」

司会者のおじさん、おばさんはこれを聞いて感心していたけれど、私も驚いた。私なんて彼女の母親より年上に違いないが、いまだに実につまらないことで人と自分を較べて落ち込んだりする。ああ、恥ずかしい。

「人に嫌われることを恐れない」
「そんなちっちゃなことで、と思っても、相手が真剣に悩んでいるのだから私も真剣に聴く」
娘のような彼女の言葉に頷きながら、司会者の最後の言葉がすっきり胸に響く。

「今日は、残された人生の初日です」

日々新た。いつからだって、気づいたときから新しくはじめられる。
曇天の薄暗い週末が明け、今朝は清々しい空が広がった。
今日一日、最高の私にしよう。
# by kotoko_s | 2014-03-17 08:52 | ある日 | Comments(4)

生きていること

今月も「虹の村ニュースレター」が届いた。『虹の村』は、心の病気などで生きにくさを抱えた青年が人生を学ぶ場所。ここでいう「青年」とは、ある年代や時期を指さない。学びたいと願うひとはいくつであっても青年と呼ばれる。
いつも真っ先に読むのは、その青年たちの声の欄だ。今回は30代の女性が書いている。


どうして生きていなければいけないんだろう。
私が生きていることが何の役に立つのだろう。
どんなに笑ったり感動することがあっても、いつもその疑問に戻っていく、と彼女は言う。その疑問はもっていてもいいんだと思う、と。

でも、それが疑問だけで終わらずに、自分を苦しめるものになる。
それが苦しくてたまりません、とあった。

ああ、ほんとうにそうなんだよねえ。

ふと、この歌を思い出した。


いのちの歌

作詞 Miyabi(竹内まりや)
作曲 村松崇継

生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに
胸をよぎる愛しい人々のあたたかさ
この星の片隅で めぐり会えた奇蹟は
どんな宝石よりも たいせつな宝物

泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
そんな時そばにいて 寄り添うあなたの影
二人で歌えば 懐かしくよみがえる
ふるさとの夕焼けの 優しいあのぬくもり

本当にだいじなものは 隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に かけがえのない喜びがある

いつかは誰でも この星にさよならを
する時がくるけれど 命は継がれてゆく
生まれてきたこと 育ててもらえたこと
出会ったこと 笑ったこと
そのすべてにありがとう
この命にありがとう




どうして生まれてきたのか、なぜ生き続けなくてはならないのかと、楽しいときに問いかける人はいないだろう。
呻きしか出てこないような苦悩のさなかに、その意味を問いかけ続けられるのが人間に授けられた恵みなのだと思うようになった。
忘れていても、気づかなくても、守られ支えられている。


※ 虹の村(長野・安曇野)―心の病や人生の困難のために、社会からひきこもる青年たちに対して、医療と教育の両面からその心に働きかけ、青年や関わる人々が生涯に亘って自己を学ぶ治療共同体
# by kotoko_s | 2014-03-14 23:35 | ある日 | Comments(0)

奥会津に暮らす


by haru
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