猫がいた喫茶店

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テレビで新入生の初々しい顔を眺めていたら
ふいに昔のことがよみがえった。

30年以上前、私は社会人になってから夜間の専門学校に通っていた。
勤めていた会社は勤務時間が不規則で学校に間に合わないので辞めた。
学校に通い出したら、先生がのんびりと言った。
「あなた、昼間何やってるの」
「なんにも・・・・・・いえ、しないとまずいんですが」
「だったらちょうどいいや。これから行こう」

連れていかれたのは古い喫茶店だった。
「純喫茶M」としておく。
「画廊喫茶M」という文字も看板に見えた。
Mは画家の名前である。
無気味な感じの女の顔が、看板に描かれていた。
あとで知ったが、純喫茶と謳いながら、夕方からはお酒も出した。
三島由紀夫がよく来ていたとか、誰それが常連だったとかいう話も聞いた。
椅子の背には白い布カバーがかかっていて
小さなテーブルに置かれたメニューには
「サイダー・コーラー・クリームソーダー」と書かれていた。
「ガラナ」という飲み物を、そこで初めて知った。

その店で、1年ほどだったろうか、アルバイトをした。
しばらくは注文を聞いたりコーヒーなどを運んだりしていたが
まもなくママさんに
「代わってちょうだい。あたし疲れちゃったのよ、年だから」
と有無を言わさない雰囲気で言われ、カウンターの中に入った。
教えられるままにサンドイッチやスパゲティやパフェを作り
コーヒーを淹れた。
慣れると「ホール」より居心地がいい。
盆にのせてそろそろと運んだマティーニのグラスを
テーブルに着地したとたんに倒して
お客さんの胸に盛大にひっかけてしまったこともあったし。

ママさんはお愛想なんぞ言わない人だったが
その分、褒められると本当なんだとわかって嬉しかった。
ちょっと、姑に似ていなくもない。
暮れにはひと抱えもある業務用の食パンを持たせてくれて
「サンドウィッチをたくさん作ってあげて」と言った。


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その喫茶店に昔、猫がいたという。
白いおとなしい猫で、いつも2階に上がる階段の下にいた。
そこから、入ってくる客、出て行く客を見ていた。
ある日、2階から酔っ払った客がよろよろと降りてきて
寝ていた猫を思い切り踏んづけた。
「どうなったんですか、猫は」
思わず浮かんだ『ねこふんじゃった』に笑いそうになるのをこらえて聞くと
「死んじゃったよ」ママさんは即答した。
「だからその人に言ってやったんだ、二度と来ないでくれ、って」
ママさんは思い出すのも嫌そうに、眉間にしわを寄せた。
いい猫だったのに。

飲食店に動物がいる、というのはよくあることだろうか。
そういえば、猫のいる蕎麦屋を知っている。
注文して待っていたら厨房からトラ猫が出てきてギョッとしたものだ。
あれも、蕎麦屋の主人にとってはいい猫だったにちがいないが。


あの喫茶店、今もまだあるだろうかと
インターネットで検索してみたらぞろぞろと出てきて感激した。
まだ、あった。
看板も変わっていない。改装したというが昔の面影を残している。
メニューは当時より豪華になったようだ。

東京が遠くなって久しいが、今度行くときには。
あの御茶ノ水駅界隈、同級生とたびたび入ったピザ屋。
1本ずつ買った絵の具、憧れの筆の並んだ画材屋。古本屋。
坂道をずうっと下って先生にご馳走になった中華料理店。
可愛がってくれた先生は亡くなり、学校ももうあの場所にはないけれど。
学生街のあの雰囲気は変わっていないだろうか。

そしてあの純喫茶Mに行くのだ。
スパゲティセットを注文して、ゆっくりコーヒーをすする。
ママさんのいるうちに、どうして行こうと思わなかったのだろう。
その節は本当にお世話になりました。
このとおり、やっぱり、なにものにもなれませんでしたが。
「好きだと続くものだよ。それでいい」
ママさんに言われた通り、今も毎日、絵を描いています。



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Commented by saheizi-inokori at 2018-04-05 14:23
今NHKFMが「アルハンブラの思い出」を流しています。
なんか合うんだなあ。
Commented by jarippe at 2018-04-05 15:26
喫茶店のママさんカッコいいなー って思いました
そしてそこで絵を描きながら働いていたハルさん
なんだか粋に思えちゃいますね~
Commented by pallet-sorairo at 2018-04-05 16:38
ああ、私がよく行く(行った)界隈です。
もうあの場所にないという学校はあそこかな、
絵の具を一本ずつ買ったという画材やさんはあそこかな、
kotokoさんが働いていたというお店はもしや!
などと思います。
でも、こう言うとkotokoさんには申し訳ないようだけど
学生街はだいぶ変わったかな。
>「好きだと続くものだよ。それでいい」
>ママさんに言われた通り、今も毎日、絵を描いています。
好きなもの(こと)があるって素敵ですね。
Commented by fusk-en25 at 2018-04-05 19:46
>ちょっと、姑に似ていなくもない。
あはは。こう言うタイプ昔から得意なんだ。。

画材屋好きでしたね。。若い頃から。。
何にするのでもないのに色々見たり
ちょっとノートや色鉛筆を買ったりして。。
Commented by ppjunction at 2018-04-05 23:40
御茶ノ水のMですね。
「絵」が呼びでしたよね。よく行きましたよ。
仕事の打ち合わせ、と称してボーッとしていた事も。
コヒーが昔ながらの味で美味しかったなあ〜。
少々トイレ臭いのが難でしたがー。
あの猫は結構高齢で、動作が鈍っていたんですよね。

バイトされていたのですか? じゃあ〜、きっとお会いしてる様な。。。
閉める、と聞いたその前日にも伺いました。
ママさん、気丈そうでしたがとても寂しそうでした。
そういう私も御茶ノ水を去り東北へ。職場があったビルも消えて高層の大学に。
何だかとても懐かしく思い出しました。
Commented at 2018-04-06 00:10
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kotoko_s at 2018-04-06 07:30
☆佐平次さん
「アルハンブラの思い出」懐かしくなって、村治佳織さんの動画で聴きましたよ。
あの店でも流れていたかもしれません。
Commented by kotoko_s at 2018-04-06 07:32
☆jarippeさん
ママさん、ちゃきちゃきの江戸っ子で、さっぱりしていて人情に篤くて、カッコよかったです。
私はただただぼうっとしていましたから、カッコ悪かったですね^^;
Commented by kotoko_s at 2018-04-06 07:43
☆そらいろさん
あ、全部当たり、ですね、きっと。
喫茶店は駅に近いのに見つけにくいったら、という場所で^^
学校は建物も洒落ていて、あの場所から移転したと聞いたときはがっかりしましたねえ。
そうですか、学生街の雰囲気は変わったのですね。
あれから30数年、仕方ないでしょうね。
好きなことがあるのは幸せですよね。
年と共にいっそう、そう感じられるようになりました。
Commented by rinrin1345 at 2018-04-06 08:12
私も好きだったなぁ~御茶ノ水。東京を離れるとなかなか行く機会がないものね。
今度は1人で身軽にいかないとね。
Commented by kotoko_s at 2018-04-06 08:35
☆fuskさん
私とは正反対と思われるこういうタイプに、なぜか縁のある人生です^^
画材屋、いいですよね。
スケッチブック、色鉛筆、ちょっとした文具も洒落たものがあって。
こちらに来てからは専門店がないので寂しいです。
Commented by kotoko_s at 2018-04-06 08:48
☆ppjunctionさん
こんにちは。ようこそおいでくださいました。
純喫茶Mをご存知でしたか。店内に画家の作品がいくつもありましたねえ。
私が行ったときは猫がいなくなってからですが、猫の似合う店ですね。
改装したことは知りませんでしたが、ネットで見たら昔の雰囲気はそのままのようで懐かしさに胸がきゅんとしてしまいました。
あの街も変わったのですね。
「と~きはなが~れ~た~」とふいに『学生街の喫茶店』を思い出してしまいました♪
Commented by kotoko_s at 2018-04-06 08:56
☆鍵コメさん
リンクありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします(^-^*)/
Commented by kotoko_s at 2018-04-06 09:05
☆rinrinさん
御茶ノ水つながりの方がここにも!^^
街の雰囲気は変わったようですが、また訪ねてみたいです。
そうそう、ひとりで、ゆっくり♪
Commented at 2018-04-07 17:46
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kotoko_s at 2018-04-07 19:44
☆鍵コメさん
お久しぶりです。おいでくださってありがとうございます。

そうでしたか、御茶ノ水はよくご存知だったのですね。
私が学食を食べに行ったところかな。
レモン画翠、めちゃくちゃ懐かしい店です。
あの街に、急に行きたくなってしまいました。
Commented by stanislowski at 2018-04-10 03:35
つばの広いフエルトノ帽子、マキシ丈のスカート、濃いマスカラ、佐野洋子氏を連想しました。
詩的です。
kotokoさんのいたお茶の水。私には東販と日販、あとイシバシ楽器。
Commented by kotoko_s at 2018-04-10 12:13
☆stanislowskiさん
ママさんのイメージ、佐野洋子氏を連想されましたか。
当時、いくつぐらいだったのかな、白髪の短い髪をきりっと後ろに撫でつけて、きゃしゃな体にシンプルなワンピースを着ていましたっけ。

東販と日販ですか!ということは、出版関係にいらしたのかしら。
イシバシ楽器も思い出します。
今頃かな、電車の窓から眺めた土手に広がる菜の花。懐かしいです。
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by kotoko_s | 2018-04-05 10:32 | ある日 | Comments(18)

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