かみさま

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4年前の今日、義父が他界した。
早朝、義母と夫がお墓参りに行った。
私は朝食後、お団子を作って仏壇に供えてからひとりで行った。
麦わら帽子に下駄で歩いていくと、太陽がじりじり照りつける。
7月の匂いがする。

墓地はムラの中に4箇所あって、だいたい「イッケナカ」でまとまっているらしい。
イッケナカとは、ホンカ(本家)とそこから出た家、という意味らしい。
ここに来た頃、何度も聞いてみたが、家同士の関係はいまだにナゾが多い。
このあたりでは「ワタナベ」「イガラシ」「カンケ」「ハタ」など
同じ苗字が多いので、集落内では屋号で呼び合うのが普通だ。

下駄の素足にも触れぬほどさっぱりと刈り込まれた草を踏んで
よっこいしょ、と登ったところに墓地はある。
わがやの墓は中でも一番高い場所で、バアいわく「一等、いいとこ」にある。
トーチャンたちがお供えした最中がもうひとつもなかった。
カラスが喜んでくわえていったのだろう。
持ってきた作りたての真っ白な団子を3つ、おとうさんにあげる。
といっても、墓の中には私の知らないひとのほうがたくさんなのだが。
隣に立っている小さなお地蔵様にも2つあげた。
昔は亡くなった人の数だけ墓石があったが
今は「先祖の墓」にみんな一緒に入って、お地蔵様がいる墓も多い。
どの家にも、小さいころに死んだ子どもがいるのだ。


お墓から戻ってくると、近所のおばさんがお茶のみに来ていた。
さっき煮たかぼちゃをお茶うけに昔話を聞く。
「ムーもこの家サよく来たっけ」おばさんが言う。

ムーさんのことなら、いろんなひとから何度も聞いたから
よく知っているひとみたいに姿が浮かぶ。
ふらっと上がってきて、黙ってニコニコしながら座っている。
「ムー、来たなあ」
家の人がお菓子をひとつふたつ、ムーさんの前に置くと
ムーさんは綿入れの衿に手を入れて、中からお菓子を出して並べる。
そうして今もらったお菓子も一緒に、また綿入れの胸にしまう。
家にいるちっちゃな甥っ子にあげるのだ。

ムーさんが池の中に棒を差し込んで、くるーりくるーりとかき混ぜている。
「ムー、どっちだ」
ムラのひとが聞くと、ニコニコして
「おとっこ」とか「おんな」とか言う。
ムラで生まれてくる赤ん坊が男の子か女の子か、ぴたりと当てた。

「ムーはどの家サでも入んね。入る家は決まってたんだ」
おばさんも義母も言う。
「ムー来たらお茶出してやれよ」子どもにもそう言って
みんな、ムーさんが来るのを待っていた。


今なら知的障害者と呼ばれるのかもしれなかった。
でも、このムラでムーさんのことをそんなふうに言うのを聞いたことがない。

「だってかみさまだもの」

バアもジイもそう言って、ムーさんのことをいつでも懐かしそうに話すのだ。


うちのお義父さんも、かみさまみたいにいい人だった、とみんな言う。
最後はムーさんとおなじ
ほんとうにかみさまになった。
大好きだった。



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Commented by hanamomo06 at 2015-07-02 20:33
kotokoさん、お義父さんの命日だったのですね。
私は知らない人ですが秋田にも『中島のてっちゃ』という人がいて、みんなから可愛がられていました。
地元の出版社から本も出ています。(無明舎)
てっちゃも神様だと思っています。

kotokoさんのお義父さんへの優しいまなざしが感じられました。
夫の実家のお墓も山の上にあります。
義母はもう上れなくなってしまいました。
Commented by saheizi-inokori at 2015-07-02 22:52
今日二度目を読み終わった「神聖喜劇」に、知的障害に近いような兵隊が軍隊の汚辱に対して正しい対応をすることが書かれていました。
お父さんのお墓、死んだ子供たち、ムーさん、なんかいい夢を見られそうです。
Commented by kotoko_s at 2015-07-02 23:52
☆momoさん
義父の亡くなった日は今日のように明るい空でした。
晩年は認知症が進みましたが、いっそう優しく子どものようになって、今も思い出すとあたたかな気持になります。
昔はムーさんや、てっちゃさんみたいな方がみんなに大事にされていたのですよね。てっちゃさんのこと、読んでみたいです。

義母も数年前から歩いてお墓まで行けなくなったので、車で行くようになりました。
でも、車から降りてお墓までがやっとだったらしく、来月のお盆には無理かもしれません。
月日の経つのはほんとうにあっという間ですね。
Commented by kotoko_s at 2015-07-03 00:07
☆佐平次さん
「神聖喜劇」、読んでみたいですねえ。さきほど佐平次さんの記事を拝読して興味をひかれました。「正法眼蔵」もちゃんと読めたらいいなあと思いつつ、無理か^^;

世界でも、とても身体の小さい人や、一般的な感覚では通じないものをもっている人には特別な力が授けられていると敬い、大事にするということが見られますよね。
ドストエフスキーの「白痴」のムイシュキン公爵を思い出しました。

今日は、義父の穏やかな微笑みに包まれているような、とてもいい日でしたよ。
Commented by fusk-en25 at 2015-07-03 00:26
父方の祖父母は奈良と三重の県境の山あいの村で生まれ墓地は山の裾野に作られたその一家だけのものでした。あの辺りは昔は共同墓地の風習がなかったのか
畑や田んぼのはずれに今でも2基や3基の墓がひっそりと建てられているのを電車の中から見かけたりします。
Commented by kotoko_s at 2015-07-03 07:21
☆fuskさん
田畑の隅に数基の墓、こちらでもよく見かけます。私の集落も、かつてはそうだったのかもしれません。
22年前、奥会津のとある山村に住み始めた頃、近所でお葬式がありました。それがその村で最後の土葬だったことを後に聞きました。
都会ではお墓のかたちも変わりつつありますが、故人が生きた場所に葬られるのは意味があり、いいものだなと思います。
Commented by iris304 at 2015-07-09 11:01
こんにちは

お義父さまのお命日でしたか。
かみさまのよう 
きっとそばにいるだけで穏やかで優しい思いを
感じられるような方だったのでしょうね〜

都会の墓と 地方の墓はそのあり方も意味合いも
違う様な気がいたします。
実家は海のそばなので お墓は太平洋が見える高い所にあります。
我が家の墓からは前の薮が邪魔で海原は見えないのが残念なのですが〜
海のそばなので 当然水で亡くなった人の墓があり
水をかけてはいけないと言われているので、
毎年の様に 何処が水かけちゃいけいの?と
子供の頃から聞いていたように思います。

幼なじみが高校生の時に 心臓マヒで突然無くなりました。
もう40年近くも前の事ですが・・・・
其の時の埋葬が私の記憶のお墓の最初です。
土葬でした。
実家の墓のすぐそばなので 
墓参りの度に、彼はここに眠っているんだ!と
彼を感じる事が出来るのに、なぜか
両親はどこへ行ってしまったんだろう?
祖父母はどこにいるのだろう?って思います。
不思議です。

父が亡くなる頃から 母は闘病生活になり
葬儀は勿論 一度もお墓参りをする事なく
逝きました。
母はお墓参りも出来ないで 
お父さんにもじいちゃんにもばあちゃんにも
会わせる顔がないと
春秋の彼岸 お盆 命日といっつも
お墓の草むしりをしたいと言っていました。

お義父さまを偲ぶいいお命日でしたね。
Commented at 2015-07-09 15:11
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kotoko_s at 2015-07-10 14:38
☆irisさん
こんにちは。
そうですか、海のそばにご実家のお墓が。
水をかけてはいけない、そういうことも子どもに教えて、大事なことを伝えていくのですね。
私は実家も親戚も都会暮らしだったので、こんな下駄履きで行けるところにお墓があるのも初めてでした。こちらに来てから家の墓守の役目を通して、お墓に対する感じ方も変わってきたように思います。

お母様がお墓の草むしりをしたいとおっしゃったこと、わがやの義母と重なりました。
毎日、義母は義父の写真に話しかけていますよ。
誰にも同じように穏やかに接し、陰で何かを言ったりもせず、ほんとうに優しい義父でした。懐かしいです。
Commented by kotoko_s at 2015-07-10 14:52
☆鍵コメさん
おいでくださってうれしいです。
かみさまのような人、昔はどこのムラにもいたのですよね。
未知のものにおそれを抱くのは普通のことと思います。ちょっとこわいような気持になったこと、私にもありましたよ。

のちほど伺いますね~^^
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by kotoko_s | 2015-07-02 15:45 | ある日 | Comments(10)

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