ひとりの時間

家族が出かけたので、一日、ひとりだった。
手仕事をしようと思っていたのに、ふと思いついたことを始めたらやめられなくなってしまい、単純な作業に貴重な時間を費やした。あっという間に家族の帰宅時間になってしまった。
夕飯の支度をしながら、ああ、ひとりだったらなあ、と思う。ひとり暮らしだったら、時間は私の自由だ。

「ひとり」と書いたら、茨木のり子さんのことが浮かんだ。
夫が亡くなったあと、31年近く、ひとりで暮らした。あの『自分の感受性くらい』はその頃、50歳で書かれた作品だという。50歳をとうに過ぎた私は、詩人が若くしてひとりになったことを改めて思う。
いまの50代とはまったく異なる時代を生きた人だ。少女時代は戦争の最中だった。

「清冽―詩人茨木のり子の肖像」(後藤正治著)に、夫を亡くし数年後に書かれたことばが紹介されている。

『そして皮肉にも、戦後あれほど論議されながら一向に腑に落ちなかった<自由>の意味が、やっと今、からだで解るようになった。なんということはない「寂寥だけが道づれ」の日々が自由ということだった。
この自由をなんとか使いこなしてゆきたいと思っている』

伴侶がいなくなる。
そこから先のことを、最近しばしば考えるようになった。
夫の親を送り、自分の親を送り、夫を送って、最後に残るのは自分だと私は信じている。そうでありますように、と願っている。夫をひとり残すなんて可哀想だと思っている。昨日は「なんて思いやりのないトーチャンだ」と怒っていたのにね。

家族は、うっとうしいものだ。重くて面倒くさくて堪らなくなることがある。
いや。常に重くて面倒くさい。

それでも、家族がいてくれて有り難いと、今は思う。
ひとりになったとき、私は自分自身を保つことができるだろうか。


清冽―詩人茨木のり子の肖像

後藤 正治 / 中央公論新社


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by kotoko_s | 2014-01-11 20:46 | 読む | Comments(0)

奥会津に暮らす


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