若さ

お世話になった方から封書が届いた。手紙と、写真が数枚。
昨年の秋、20年ぶりに仲間たちと集まったときのものだ。
「あの時はみなさんに会えて本当に嬉しかった」と心からの言葉が綴られていて、温かい気持になった。

写真には、それぞれに20年の歳月を感じさせる姿に変貌した友人たちと私がいた。
長いこと会わなかったにもかかわらず、ひとたび会った瞬間、当時の調子に戻るのは、同じ時間をわかちあった間柄ならではだ。

そのときの嬉しさがよみがえり、写真を夫に見せた。すると
「まともなのは○○さんだけじゃないか」
○○さんとは、その中でもっとも若い女性である。
ほかは私と同い年か、ほぼ同じ。顔も姿も、歳相応だ。
夫に唯一まともと認められた○○さんは、我々より15も若い。
それにしても。ひとの容姿を見て「まとも」とかそうでないとか、あんまりじゃないか。
懐かしさに頬もゆるみっ放しだったのが、夫のひとことで、さあっと冷めてしまった。

たしかに、○○さんは整った顔立ちだし、背も高くすらりとしてかっこいい。
要は「きれい」ということだ。
表現力の乏しい夫の言いたかったこととは、こうだろう。
顔も身体も余分なものがなく、ぴんと締まってイキがいい、つまり「若い」ということ。

若い友人に比べ「まともじゃない」と夫に評されたことに
自分でも意外なほど私は傷ついた。
妻への褒め言葉をいざという時にはひとつぐらいポンと出せる、ささやかな気遣いというものが、このひとにはないのか。
そもそも、夫は女性の容姿についてあれこれ言い過ぎる。
夫はいつも私を褒める。褒めてくれるのは、家庭内のことである。よくやってる、大変だな。
その労いの言葉は嬉しいけれども……時折、さびしいなと思う。
妻や嫁としてではなく、「女性」の私を見てほしくて。

外見より内面、というのはよく言われることだが、身体と心は呼応している。
腰が曲がっても、ガニ股になっても、耳が遠くなっても、寝たきりでも
きれいなおばあちゃんは、いる。
きれいなおばあさんは、どんな姿であってもきれいなのだ。

きれいなひと、とは、たとえばこんなひとだ。
衰えてゆくことを嘆かず、ひとを羨まず、ユーモアを忘れず。
そんな老人に、私は育っていきたい。
最期まで成長したいと願って進んでいくのが「若さ」なのだと思う。

私は私の美しさを大切に磨いていきたい。夫よ、びっくりするなよ。


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by kotoko_s | 2014-01-10 20:15 | ある日 | Comments(0)

奥会津に暮らす


by haru
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