1月最後の空


c0323384_10114650.jpg

6日ぶりに家から出る。
昨夜の雪は30センチほど積もった。
世界が眩しい!



c0323384_13413024.jpg

上を向いて歩こう!



c0323384_13314980.jpg

スギの大木に蔽われた山は暗く苦手だけれど。
雪をまとった姿は美しいと思う。
この見事なコントラスト!



c0323384_13352627.jpg


こんなきれいな日は神様の贈り物。
あれもこれもしばし措いて、この空に感謝します。





[PR]
# by kotoko_s | 2017-01-31 14:41 | ある日 | Comments(8)

服は買わない

c0323384_10332345.jpg


今朝は今冬一番の冷え込みだった。こういう日は晴れる。
時がとまったかのように静まり返る雪景色を眺めていると
ガラス細工のような梢の向こうから光が差し始めた。
こんな朝は、雪ほど美しいものはないと思う。
世界が真っ白なのがなにか恵みのような気さえする。
ほかの色―たとえば赤とか黒だったりしたら落ち着いて眺めてもいられないでしょう。



c0323384_10341813.jpg


中学生の頃、冬休みの宿題に「新年言志」なるものがあった。
いわゆる「書初め」なのだが、そこは「言志」というだけあって
今年はこうします、という決心を書くのが決まりだった。
ということを、なぜか私は知らなかった。
何を書けばいいのやら。困って父親に相談すると「見たまま感じたままを書け」。
見たまま感じたまま・・・・・・庭に目をやる。枯れ木が寒そうに立っている。寂しい。
そうか、と「冬枯れの庭」と書いた。如何に気持ちが入っていないかわかるというものだが。

3学期が始まる日、その「新年言志」を提出した。
教室の後ろに全員のものが張り出される。あれれ・・・・・・
「個性を出す」「よく見るよく聞くよくする」「友を愛する」などというのもあった。
「冬枯れの庭」は明らかに場違いである。
そんな、「廊下は走らない」みたいなことを書けなんて誰も言わなかった、と思う。
どうも昔からひとのいうことを聞いていないらしい。恥ずかしい思い出だ。


毎年、書初めこそしないが、心に決心することがある。
たいていすぐ忘れてしまうか気持ちが変わってしまって続けられない。
茨木のり子の詩の通り
「初心消えかかるのを暮しのせいにはするな 
そもそもがひよわな志にすぎなかった」のだ。
それでも懲りずに、毎年なにごとか決心する。
今年こそ、と思う、その気持ちがなんとなくいいのである。

今年は初めてのことを決心してみた。「一年間、服を買わない」。

ここ数年で体型が著しく変化したのです。
加齢と共に仕方のないこと、とようやく自覚はしたけれど
何を着ても似合わないのはなんとしよう。
好きなスタイルは子どもの頃からあまり変わらない。
愛着のあるものを何年でも着続けるし、気に入ると色違いで買ったりもしていた。
でも、もうそんなことはできなくなったのです。
気に入っていたシャツがきゅうくつになって
よそゆきにとっておいた同じもう1枚がムダになってしまったのはもったいなかった。
スカーフやマフラーが好きで山ほどあったのも、最近は軽いものしか出番がない。
体の感覚が若い頃とは変わって、身につけられるものが限られるようになってきたのだ。

昔、おばさんたちはなんで柄物ばっかり着るんだろうねえ、と不思議だったが
今になってようやくわかった。
若い頃は何も飾らなくても美しい。
歳を重ねていくにつれ、見た目のシンプルだけではもたなくなってしまうんだねえ。
もちろん、素敵なひともたくさんいるが。

去年、着心地が変わったもの、似合わなくなったものはすべて手放した。
いつか体型が戻って、という妄想も捨てた。
それに。体型だけじゃないんだよねぇ。似合う色も変わる。
頭だって白いままいくかとか、いろいろあるのですよ、妙齢の女性には。


c0323384_10343690.jpg


さあ、今年は服を一枚も買わないぞ。
そう決めたとたん、思わぬアクシデントに見舞われた。冬の黒のコートである。
初めてのボーナスで買った30年以上前のコートを
告別式に行くので久しぶりに出してみたら、小さな虫食いがいくつかできていた。
大切にしてきたつもりだが、寿命だったのだ。
必需品なので仕方ない、買うしかないとがっかりしていたら
古着屋で思いがけずいいものが見つかった。また体型は変わるだろうし、これで十分。

ものをなるべく買わずにあるもので工夫するのが好きだが、服もそうできたらいい。
まずは一年、手持ちのものを楽しむと決めたら、なんとせいせいしたことか。






[PR]
# by kotoko_s | 2017-01-22 14:32 | ある日 | Comments(14)

雪の中を歩く

c0323384_15200021.jpg
あった!



c0323384_15203247.jpg
野ウサギの足跡♪
ふたつ横に並んでいるのが進行方向。これは前足の先へ蹴り出した後ろ足のあと。



c0323384_15204828.jpg




c0323384_15211511.jpg
道路の端を示す紅白の棒。除雪のためになくてはならない。
雪解けのころに回収し、初雪の前にまた立てる。



c0323384_15283381.jpg
気温が上がり「なでこけた」現場に遭遇。落ちたあとでよかった。
車の通行不能なので、区長さまにお報せする。
明朝、雪庇(せっぴ)を切る予定だという。
雪庇・・・崖の縁などに積もった雪が庇のようにせり出したもの。
     雪崩になると危険なので落とす。



c0323384_15213134.jpg
クリの木にウスタビガのまゆ。今年は3つだった。草色がいつもより淡い。



あたりが真っ白になると歩きたくなる。

人の姿のない道を歩き続けていると
山の生きものの気配を感じる。

きゅっ、きゅっ、とリズミカルなゴム長の音。
キョッキョッと高いところから降ってくる小鳥の啼き声。
バサッと大きな音をたててスギの梢から雪が落ちる。


ああいいなあ。雪道を歩くのはいいなあ。
野ウサギみたいに雪原の真ん中をどこまでも歩いていきたくなる。
雪の匂いを吸い込みながら、きゅっ、きゅっ。
心がどんどん楽になる、不思議。







[PR]
# by kotoko_s | 2017-01-18 21:32 | ある日 | Comments(10)

「手仕事始めに」



c0323384_15520078.jpg


クッションカバーができた。大きさは40センチ角。
昔、裂き織でカバーを作ったときのクッションの残りが3つあったので
赤系、黄系、緑系にしてみた。
最初は新しい会津木綿でピースを裁って並べてみたが、なんだかおもしろくない。

やっぱりこれしかないなあと探したら、使えそうなものがまだあった。
義母からもらった野良着や着物、布団側など、使い古し、何度も水をくぐってきた木綿。
ほどいて洗って色別に引き出しにストックしてある。
汚れや破れのあるものは裂き織りに、きれいなところはこうしてパッチワークに使える。
こたつ掛けやボロ隠し布もこれら古い布で作ったが、とても美しいと思った。
だから今度もその仲間だ。

縞は野良着、格子は布団側、無地は着物の裏地。
汚れや破れをよけて寸法に裁って組み合わせてみたら、なかなか愛らしい。
緑色はもっと深いパチっとした色だとよかったが、これしかなかった。
藍色は微妙に違う色目を組み合わせた。ミシンが苦手なのでちくちく手縫いした。




c0323384_15521554.jpg
裏。ボタンやファスナーは面倒なので、布を重ねた間からクッションを入れる。


作っているときは楽しい、出来上がると嬉しい。
古い布が新しい姿になってくれたのもよい気持ち。
また大きなものも、作りたくなってきた。





[PR]
# by kotoko_s | 2017-01-17 16:20 | 作る | Comments(12)

ことば

大雪警報は一日で解除された。ああ、やっぱり降った。
暮れからほとんど降らず今冬も楽・・・ではなかった。ちゃんと豪雪地らしい冬になりました。
わが家観測所(下の写真 雪に立っている細い棒)ではこの日、積雪125センチ。
雪の重みで桜の枝がざっくりと折れてしまった。

c0323384_22545213.jpg



遠方に住む父は入退院を繰り返すようになった。
世話をする母も父同様高齢だし持病もある。
それでもご近所に助けられながら二人で暮らしている。
ありがたいことです。

今朝も父の入院先にいる母から電話があった。
ケアマネージャーだかなんだか忘れたが、「専門職」の女性から言われたという。

「お子さんが何人もいるのに誰も来ないなんて。
親がこんなになってるのにほうっておいて平気なんでしょうかね」

みんな遠方だし仕事や家族の介護を抱えているし
それでも来てますよと母は言ったらしい。
地域の方々に助けてもらっていると話したら
「他人なんてあてにしないほうがいい。子どもがみるべきですよ」

子どもである私はそんな人に何を言われてもヘでもないが
老いてなおがんばっている、心細さを抱えている女性に対してなんたる言い草か。
想像力がなさすぎる。
見舞いにも来ないなんて、と同情したのだろうが。
単純な決めつけは相手を嫌な気持ちにさせると、「プロ」なら知っていてほしかった。
何より、地域で「他人」同士、助け合って暮らしているということが、この人には理解できなかった。

私が住んでいる山村でも、ある世代の人たちは、こういうことをよく言う。
親の最期までをみるのは長男夫婦の役割であり、実際にほとんどが長男夫婦との同居である。
子どもがいるのに施設に入れた、という言い方をする。
でも、60代の義姉たちの世代は違う。
私が実家に行くことができるのも、よそにいる義姉が助けてくれるからだ。
そうでなければ、家から離れたがらない高齢の義母をおいて、どうして行けましょう。



積もった雪に屋根からの落雪がくっついて家の中が真っ暗。
トーチャンが除雪機で飛ばしてくれました。
私ひとりになったらもうここには住めない。

c0323384_23152098.jpg


ことばというものは、ほんとうに・・・・・・。
おじいさんに会いに、毎日ひとりで通ってくるおばあさんを見て
福祉のプロは「こりゃ気の毒」と思ったのだろう。「ひどい子どもたちだわ」と。
たしかに、それぞれ事情があるにせよ、行かないのは事実なのだから
そう思われてもそれはそれで仕方ない。
だが、そういう言葉を老母に向って投げたことに、私は怒っている。

介護、とひとくちに言っても、その状況や事情は様々。
何が正しくて何が間違っているとは誰にも言えないし、状況は日々変化するものだ。
子であっても立ち入れない部分がある。
したくてもできないこともある。
血縁よりも地縁が頼りになることもある。

真のプロなら、口のきき方に気をつけてほしい。というよりも。
すべて、その人の生きているように表現されるのだろうと思う。
勉強だってしてほしい。
ひとりの人間の背景には、簡単にことばにはできないものがたくさんあるのだから。


雪が落ち着いたら、行くからね。ふたりとも待っててね。
どうぞ守られますように。
助けてくださっている方々に感謝しています。





[PR]
# by kotoko_s | 2017-01-14 15:41 | ある日 | Comments(10)

 あれこれ


by haru
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31