「泣いた赤おに」考

泣いた赤おに (日本の童話名作選)

浜田 広介 / 偕成社



節分は過ぎたが、鬼の話を。
「泣いた赤おに」は有名な童話なのでおはなしは知っていたが、初めて読んだのはかなり大人になってからだ。読んでみて、これがなぜこんなに評判がいいのかわからなかった。

赤鬼は人間と友だちになりたくて、お茶やお菓子を用意し、「心の優しい鬼のうちです」と立て札を立ててみる。だが、人間は信じない。青鬼は、それでは自分が人間の村で大暴れするから、きみは僕をこらしめるといい、と提案する。赤鬼は青鬼の申し出に、それでは青鬼にすまないと思いながらも、言われたとおりにしてみるのだ。すると、人間はようやく信用して赤鬼の家に遊びに来るようになった。

ひとのよい(鬼のよい、と言うべきか)赤鬼には、人間と友だちになることと引き換えに、親友だった青鬼を失うことになるとは、思いもよらぬことだったろう。
なんて残酷なことだろうと思った。
赤鬼はそれから一生、後悔と悲しみに苛まれて生きなくてはならなかったろう。愛する友だちにそんな辛い思いをさせることが、ほんとうに青鬼の友情だったといえるのだろうか。
赤鬼の心情を思うと可哀想でならない。

青鬼の行為は、赤鬼のためにほんとうによいことだったのか。
青鬼のひとりよがりだったんじゃないか。
青鬼のしたことが単純に「美しい自己犠牲」である、という捉え方だとしたら、それはどうなんだろう、いいのか、それで、とひねくれものの私は思ってしまう。たいせつなひとのために自分を犠牲にすることの尊さ、という語られ方が多いし、浜田広介氏自身も「青鬼の深い友情」と書いているのを読んで、作者の意図がそうであるなら仕方ないなと思うけれども、腑に落ちないままだ。
もし、子ども時代に読んでいたら、そのときの私はどんなふうに感じたかな。やっぱり、「泣いた赤おに」より「泣かせた青おに」のほうが気になったろうなあ。
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# by kotoko_s | 2014-02-05 12:00 | 読む | Comments(2)

手ごたえ

今日も一日、古布のパッチワークをした。これまでにできたものは20枚。これは11枚の端切れをつないで30センチ角の1枚の布にしたピースの数だ。
このピースを数枚合わせて風呂敷、座布団やクッションのカバーもいいなあと思うが、ここで小さいものを作ってしまうとまた炬燵掛けまで遠くなるので我慢する。
色合わせを決め、手縫いでつないでいく。だんだん大きくなる。楽しい。やめたくない。家族がいてよかった。時間がくれば食事の支度もするから。
昨日も今日も、一歩も外に出なかった。冬ごもり中の虫になった気分だ。
手仕事が始まるとパソコンに向うのが億劫になる。

「手ごたえ」というのは、なるほど、こんな感覚のものなのだなと思う。
手を動かして、かたちとなって見えるもの、さわれるものが出来上がると、安堵するような気持になる。それをしていると私らしいなあという感覚になる。自分の体の中にあるものが、偽りなく表現されているという実感がある。
それに、作ったものは家族が喜んでくれる。
だからいつも、家で使えるものを作る。暮らしが楽しく、美しくなるものを作りたい。
それは、義母や義父の着古した野良着や着物や布団皮などの始末でもある。

こういうものづくりは、奥会津に暮らすようになってからだ。
この地に導かれてきたことは恵みだった。
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# by kotoko_s | 2014-02-04 23:39 | 作る | Comments(0)

しあわせ

今日は家族が出かけてひとりの一日。
晴れたので寝具をまとめて洗い、2階の窓の外いっぱいに干す。午後3時前にとりこむと、全部きれいに乾いていてびっくりした。
冬に外に洗濯物が干せるなんて、しかも夕方までに乾いてしまうなんて。

誰もいないので居間に道具を広げて、久しぶりに手仕事をする。古布をつなぐパッチワークが、今日は2枚できた。これまでの合計12枚。全部で48枚必要な計算だから、あと36枚。11枚の小さい布を縫い合わせてひと組、×36。先は長いが手を動かしさえすればいつかは完成する。きっと素晴らしい布が出来上がるに違いない。だってもともとの布がこんなに美しいのだから。ちくちく縫っている時間はとても楽しい。

空が明るくて気持いい。閉めきった障子越しに差し込む光が嬉しい。鉢植えの花が光のほうを向いている。植物は素直だなあ。

青豆を煮て、ひたし豆をつくった。美味しい。
煮干と昆布で出汁をとり、大根、人参、里芋、竹輪、凍み豆腐、麩、干し椎茸などを大鍋で煮る。
油揚げを半分にして、暮れについた餅の残りを入れてそれも一緒に煮る。
味が薄かったので、少し足して明朝までに美味しくなりますように。

頼んでおいた眼鏡が届いた。
田舎の小さな眼鏡屋さんだから、デザインはそんなに豊富にない、でも、新しい眼鏡はいいものだ。ケースがきれいで、嬉しくなった。


昨夜、こんなことを思ったのだ。
あの時あんなこと言わなきゃよかったのに、あんなことしなきゃよかったのに、また失敗して自分はなんてダメなんだろう、などといつまでも自分を責めてしまうけれど。
もう、そんなふうに自分を責めたり後悔し続けるのはよそう、と。

そう思って休んだら、今朝は気持よく目覚めた。
そして、今日はなんということのない一日だったけれど、とても幸せだった。
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# by kotoko_s | 2014-02-01 23:47 | ある日 | Comments(2)

いなくなるということ

部屋の中で羽化した蝶が死んだ。一昨日の晩のことだ。
数えてみたら、見つけてから12日目だった。木瓜の鉢の縁の裏側を覗いたら、小指の爪半分ほどのカラになった蛹がくっついていた。こんな小さいところに入っていたのか。
数日間は留守にしたし、出かける日もあったから、行く前にはいつも「帰ったら蝶は死んでるかもしれない」と思った。でも、そのたびにまだ生きていて、最期を見届けることができたのはありがたかった。
木瓜の柔らかい葉をちぎってその上に寝かせ、鉢の土を掘って埋めた。

蝶をこんなに間近に見たのは初めてだった。途中、羽が黒ずんできて、よく見ると右足が1本とれていた。どうしてとれたのか、弱ってきたからか、蝶に痛みの感覚はあるのか、ないといいなと思ったり、なにか助けになりたいが、どうしてやったらいいのかわからない。薄めた蜜の濃度があれでよかったのか、葉陰でじっとしているのを光のさす場所に置き換えたのはよかったのか、よけいなことだったのか。おしまいの頃には、温かい息をそうっと吐きかけたりもしたが、迷惑だったかもしれない。
最期は、横になっていた。前脚をかすかに持ち上げるようにして、口をすーっと伸ばしたけれど、もう蜜を吸うことはなかった。

蝶は声を出さないし、抱きしめることもできないし、なにを思っているのかいないのか、なにもわからなかった。でも、手のひらにのって羽を開いたり閉じたり、そうっと気をつけて触れると震えたり、生きていることがしっかり伝わってきた。可愛かった。
こんなに儚い生きものなのに、いなくなってしまったことがとてもさびしい。


ここしばらく毎晩、床に入ってもなかなか寝付けない。遠方にいる親が死ぬ、ということばかり想像している。
色々なことがあった。たまに会っても、緊張感を伴うようなことがいまだにある。
何を言われても黙ってゆったりと老親を包み込みたいと、ひとりになればきまってそう思うのに、会えば、話せば、そうできなくなってしまう。思うようにならないこの未熟な心。

いつかは、必ず別れがくる。親が先に逝くのは当たり前のこと、幸せな順番だとわかっている。なのに、いなくなる、永久に会えなくなるということが、とてつもなく恐ろしく、さびしい。それは、宿題を怠けた自分をいくら責めてみてもとりかえしがつかない、という感じに似ている。遣り残したままでは決して先へは行けない、重い宿題。
早く宿題をやり遂げなくては、執着を手放しまっさらにならなくては間に合わないと思うけれども、そんなひとりもがく子のわがまま勝手も、親というものはすべてゆるし包んでくれているのかもしれない。
残るのは私の後悔だけだ。

そこにいてくれるということ。行けば会えるということ。だからまだまだ、私は甘えているんだな、と思う。
いてくれるということが奇蹟なんだと思う。
まだ、いてください、と祈るばかりだ。
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# by kotoko_s | 2014-01-31 14:53 | ある日 | Comments(2)

老いの重荷は

旅のお供は米原万里「パンツの面目ふんどしの沽券」だった。
幼稚園時代に生まれた「キリストの下腹部は何でおおわれているのか」という疑問。アダムとイヴが前を隠したイチヂクの葉は、なぜ落ちないのか。大好きだった父親のフンドシ、あれはそもそもどこからやってきたのか。シベリア抑留の記録から明らかになった「拭かない」話。パンツを穿かない話。ズボンを穿くと叱られる話。パンツを穿かないなら女性の「月のもの」はどうしていたか。全編これ、古今東西の下腹部を覆うものの話である。
よくぞここまで、と半ばあきれるほどに追求の手を緩めない。巻末に付した『主な参考資料』は10ページにも及んでいる。日本語訳のものだけで200件近い。この真剣さ、注目している場所が場所だけに可笑しくなってもくるのだが、女性の「立小便」の話や野良で用を足す習慣などは、現在でも、奥会津ではたまに目にしてしまう光景である。

もともと、2001年から2003年まで『ちくま』に連載されたものだという。読者はさぞや楽しみに次号を待ったことだろう。単行本化にあたっては、ずいぶん時間がかかった。あとがきに、卵巣癌の発覚、除去、再発、そして悪性度の高い癌であることを、さらりと書いている。
『もともと、このテーマには全人生を捧げても間に合わないくらいと思っていたのに、人生そのものの時間がカウントダウンに入ってしまったのだ。』
無念であったろうと思う。この約一年後に、米原万里さんは他界した。56歳だった。

パンツの面目ふんどしの沽券 (ちくま文庫)

米原 万里 / 筑摩書房




駅構内の本屋で目についてパッと買ってしまったのが「50歳からの人生を楽しむ老後術」(保坂隆編著 大和書房)。保坂氏は精神科医だ。軽い書き方で少々物足りなかったが、最後のページにいいものが待っていた。102歳の人生を女優として生きた長岡輝子が晩年よく朗読したという、一篇の詩が紹介されている。


「最上のわざ」

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、
謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、
親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、
真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、
それを謙虚に承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ 我が友よ、われなんじを見捨てじ」と。



東京イグナチオ教会の主任を務めた、イエズス会のヘルマン・ホイヴェルス神父の書「人生の秋に」の中で紹介している詩だという。
知らなかったが、日本の映画「ツナグ」の中でも使われたそうだ。

『老いの重荷は神の賜物』―この人生がいつ終わるのか、それは神様しかご存じない。今日、ただいまが、すでに私の最終章かもしれない。
そのときがいつであっても、重荷と感じられる様々な試練こそが恵みであると思えたなら、どんなに素晴らしいだろう。

人生の秋に―ホイヴェルス随想選集

ヘルマン ホイヴェルス / 春秋社


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# by kotoko_s | 2014-01-28 15:30 | 読む | Comments(2)

奥会津に暮らす


by haru
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