山の春

c0323384_23245044.jpg


c0323384_23242371.jpg


c0323384_23254167.jpg


c0323384_23260473.jpg


c0323384_23320641.jpg



c0323384_23270939.jpg


c0323384_23265284.jpg



一斉に芽吹く木々

雪を割って咲く花

ごうごうと駆け降りる雪解け水

雄のキジが歩いて山を登っていった

陽だまりで伸びたまま昼寝しているヘビ

山の春!

みんなに見せてあげたい





[PR]
# by kotoko_s | 2017-04-23 00:00 | ある日 | Comments(10)

変えられることは

裂き織りのマット
c0323384_10522692.jpg




昨日、私は爆発してしまった。
手仕事の材料がしまってある引き出しを見た途端、気持ちのストッパーが外れてしまった。
こんなもの、とっといて何になる!
引き出しを開けぎっしり詰まった材料を次々放り出した。
帰宅した夫が吃驚して「どうしたんだ」
どうしたんだか自分でもわからない。
ただただ涙が出る。怒りが込み上げるが、何に対して怒っているのかわからない。
すべての場所が空っぽになるまで、手を止めることができなかった。
小さな部屋の真ん中に(機のあった場所に)山と積み上がった布、布、糸……

義母の手縫いの野良着。
夫が生まれる前に使われていた継ぎ接ぎだらけの布団側。
袖口の裏にあしらわれた明るい山吹色や臙脂色の端切れ。
草木で染めたたくさんの糸の玉。
こんなもの、どころか、どれも愛おしい宝ものだった。
私は裂き織りがほんとうに好きだった。

あんなに大切にしてきたことやモノに対して、なぜこんな乱暴な気持ちになるのか。
古いものが、使われずにただただそこにあるだけの状態が嫌で堪らなくなったのだが。
イヤで堪らなくなったのは、実は自分に対してだ。
八つ当たりして、モノたちにすまなかった。
部屋一杯に散乱したものを目にしたとき、やっぱり捨てられない、と思った。
私は疲れているんだなと気づいた。

機(はた)を処分したことが思いのほかショックだったんだと思う。
自分で決めて自分で手を下したことにショックも何もないが、そうとしか言いようがない。
趣味というにもお粗末な、「手遊び」だったが。
機に座る時間がこんなにも大切なものになっていたのかと、失くしてみて初めて知った。
好きなことがほかにあっても、機織りはそういうものとは何か違った。
たとえそこに座ることができなくても。
機があることで私の場所が与えられていたのだと、今はわかる。

うまくいかないときというのは自分の中に理由があるのだ。
一度思い切って痛みを感じないと先へは行けない。
機が、身を以って教えてくれたんだと思う。
好きなことをあきらめるなよ。
やりたいことをやりなさいよ。


神さま
変えられるものを変える勇気と
変えられないものを受け容れる心の静けさと
そのふたつを見分ける賢さを与えてください 


O God, give us serenity to accept what cannot be changed, courage to change what should be changed, and wisdom to distinguish the one from the other.

この「ニーバーの祈り」を、大好きだった祖母が大切にしていた。
私に変えられるものがあるとしたら、それは自分の弱さだと思う。
自分にとって譲れないものは、しっかり表現しないと周りには伝わらない。

改めて機(はた)に、この機会を与えられたことに感謝します。
それから、爆発するたびにのんびりと「どうした」と言ってくれる夫にも。






[PR]
# by kotoko_s | 2017-03-31 12:19 | 作る | Comments(14)

別れ

機(はた)を解体した。

もともと、柔らかな服地やマフラーなどを織るのに適した機だった。
なのに私はガンガンきつく打ち込む織りをして、この機にはずいぶんと無理をさせた。
結婚後まもなく購入したから、20年近くになるが。
ひとつの道具がその役目を終えるには短すぎた。

去年、久しぶりに織ったとき、うまく織れなかった。
部品を新しいものに交換すればいいか、工夫する余地があるかとも考えた。
が、(ああもうこれで最後だな)という感じがした。
これが、この機で最後の織だな。

今の家に来る前に、夫と二人で暮らした時期がある。
長い冬。雪かきのほかは、ずっと機に座っていた。
たくさんの布が生まれ、大きな夢が生まれて。
恵まれた時間だったと思う。

いつかは本物の機を、といつも思っていた。
今の機がニセモノというわけではないが、もっと大きなしっかりした機が欲しかった。
私の織りに合う、頑丈な道具が。
知らない土地で、私は早く自分の居場所を定めたかったのかもしれない。
ちょっとせっかちに買ってしまった、玩具のようなやさしげな機。
20年、いつも傍にいてくれた。

2階のその部屋にほとんど行かなくなってずいぶんたつ。
いつでも織れるように、機は部屋の真ん中に据えていた。
解体しながら、またいつか組み立てるときがくるかもしれないと漠然と思っていたが。
どうしても抜けないネジをはさんだドライバーに力を込めたら、根元から木が裂けた。
それで踏ん切りがついた。

「いい木だ。何かに使えるぞ」と夫が言う。
何かに使ってもらえたら嬉しいが、何の役にも立たなくたっていい。
私は錆びたネジひとつだけ、とっておくことにする。


自分にとって織るという行為が、どれほどのものだったかわからない。
ただ、好きだった。
からむしを織るときも。裂き織りのときも。
機に座ると手が自然に動いて、一段、また一段。
手が、気持ちを先へ先へと運んでくれた。
機に―ありがとう、いつも助けてくれて、ほんとうにありがとう。



そこにあることが当たり前だったのに、今はもう跡形もない。
とりかえしのつかないことをしてしまった、という思いがかすかに残る。
だが、これは新しいものに出会うための必然だったのだ。
また織るのだろうと思う。いつか、きっと。





[PR]
# by kotoko_s | 2017-03-26 23:00 | 作る | Comments(8)

「わたしを束ねないで」


c0323384_11043965.jpg


晴れた日曜日、夫が除雪機で雪を飛ばして道を開けてくれた。
これで庭先から表通りまで車で行き来できる。
ここが開通すると、いよいよ春だという実感が湧く。
道は人を招き、内にいるものを広い世界へと誘う。

朝はツルツルに凍りついてとても歩けなかった道も、昼前には乾いて人が出てきた。
一面の雪を渡ってくる風は冷たく、また今夜は少し降るようだが。
ここまでくればもう後戻りはないと、光の強さが教えてくれる。

季節が大きく変わっていくこの時期は、いつも物憂い。
暗いトンネルからようやく抜け出せるというのに。
期待よりも不安な感じでいっぱいになるのはどうしたことだろう。

ふと、一篇の詩を思い出した。
久しぶりに読みたくなって、長らく触れなかった本棚から古い詩集を取り出す。



わたしを束ねないで      新川和江

わたしを束(たば)ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂

わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください 私は羽撃(ばた)き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください 私は風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく一行の詩

(『現代詩文庫64 新川和江』思潮社、1975)



c0323384_12344827.jpg


10代の頃、友人と詩集を作っていた。
詩集といったって、手書きの原稿を安いコピー屋で印刷し、ホッチキスで閉じただけの薄っぺらいものだ。まだパソコンはなかった。
それぞれが何篇か書いて、表紙は私が担当した。
「これじゃあんたの作品じゃん。これ、2人の詩集だよ」
ダメ出しされて表紙は描き直したが、肝心の詩についてはお互い何も言わなかった。

創刊号を、新川和江さんに送ったことをよく覚えている。
「怖いもの知らずってすげぇな」と知人に呆れられたが、なんと、お返事をいただいた。
葉書に美しいペン字で、感想と励ましの言葉があった。
あんたが持ってなよ、と友人に譲ってもらったのに、どこかに紛れて失くしてしまったのが残念でならない。
その友人とは喧嘩ばかりしていた。
いつしか疎遠になり、2人の詩集も数号までで自然に消えた。
彼女の詩が好きだった。


「わたしを束ねないで」を読むたびに、私は深呼吸する。
縮こまっていた胸が開かれる思いがする。
束ねられてむしろ安心している部分もあることに気づいてどきりとする。
それでいいのかと問いかける声が聞こえる。
行き止まりのない道をずんずんと歩いていきたくはないか。
どこまでもどこまでも、自分の足で、と。




[PR]
# by kotoko_s | 2017-03-13 14:30 | 読む | Comments(8)

6年

c0323384_09441366.jpg


3月11日の朝です。
奥会津はまだ雪に囲まれていますが、山の向こうの空が明るくなってきました。
やわらかな光の降り注ぐ一日となりますように。

ここにいると毎日、福島県の被災地の様子がニュースで伝えられます。
全国でも、特に東京で、同じように見てもらえたらいいなと思います。

被害者である人たちがいじめられたり蔑まれたりする。
嫌な、恥ずべきことですが、人間の弱さも思います。
私の中にもまったくそういうものがないか、これはよくふりかえってみなくてはならない。
心の底まで掘ってみれば、醜いものが出てくるのです。
だからこそ、心を律して口を慎みたい。
子どもは大人の言葉を聞いているのだから。
他を裁きたくなるときは心したいと思います。

しかし権力に対しては。声を上げなくてはならない。
フクシマとカタカナの記号になってしまったことが本当に悲しい。くやしい。



この震災でなくなられた方々のご冥福を祈ります。
被災地で、避難先で、懸命に生きておられる方々のご無事をお祈りいたします。






[PR]
# by kotoko_s | 2017-03-11 10:21 | 3.11以後 | Comments(8)

 あれこれ


by haru
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30