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はぎれでつくる

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なにか作りたくなった。
本当は裂き織をしたい気分なのだが、機(はた)がない。
いつでもできるよう布を裂いておこうかとも思ったが
どうもそういうのとも違う。
カタチになるものが作りたかった。

暮しの手帖 88(2017.6-7月号)に「ハギレを手縫いで」という記事があったのを思い出し作ってみることにした。
しかしいつも思うことだが、暮しの手帖の「ものづくり」頁は不親切だ。
ある程度やったことのある人なら「あのことか」とわかるかもしれないが
まったくの初心者には言葉の意味すら不明である。
私はある号に載っていたレース糸のアクセサリーをついに編み始めることもできなかった。
私の理解力のなさは認めるが、「はじめての人はこれ」というのでさえ無理だったとは。

今回は私でも作れた。
でも、私が編集者だったらやっぱりもっと親切に解説するなあ。


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土台となる布を探したらちょうどいいのがあった。
夫の着古したブルーの麻のシャツ。
しっかりした生地で、背中の部分がたっぷり使えるので切っておいたものだ。
そこにハギレをのせていく。
私のワンピース、義母の野良着など古い布に、会津木綿も少し。
色を選ぶのはいつも楽しい。


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下になる布から土台にちくちく縫い付けていく。
糸はたまたまあった刺繍糸。布ごとに色を変えてみる。


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仕上がり40×60センチ。棚に掛けてみたらちょうど目隠しになった。



なんということもないテワッサ(会津言葉で「手遊び」に近い手仕事)だが。
久しぶりに肩の力が抜けておおいに楽しんだ。




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by kotoko_s | 2017-09-11 16:30 | 作る | Comments(20)

子どもと。


地元の子どもたちとダンボール織を楽しみました。

小学校1年と2年、今年は総勢10名。

3年前からお手伝いしています。


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織り機はダンボールと割箸。

2回の教室を終えたら、子どもたちにプレゼントします。


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女の子たちはおしゃべりしながら。


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2年生の男の子の作品


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2年生の女の子作


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初めての1年生



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子どもたちと過ごす時間は本当に楽しい。

世界にたったひとつの作品がたくさんできました。

今年も一緒にできて幸せだったよ。

ちょっと感傷的な気分になっている私を残して

あっというまに帰っていった子どもたち。

ふりかえらない、ってすばらしいねえ。

ありがとう。

来年も会えますように。




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by kotoko_s | 2017-09-07 23:52 | 作る | Comments(10)

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9月の声を聞いたとたん、肌寒くなった。
晴れ渡った空をどこまでも雲が流れてゆく。風がひんやりと心地いい。
庭先の水場でサンダルの底を洗う。
からりと乾いたあと、磨いて箱にしまった。
もう夏は終ったのだ。

衣替えをしながらふと思い立ち
「開かずの箪笥」の引き出しを開けてみる。
そこには昔の日記がぎっしり詰まっている。
結婚祝いにいただいた分厚い10年連用日記に、B6版ノートが20冊余り。
何度か読み返したそれらを部屋の真ん中に全部積み上げ
久しぶりに開いてみた。

腹が決まった。
捨てよう。

いつかは処分しなくちゃ、と思ってはいたが。
そのたびに、やっぱりもう少し置いておこう、捨てるのはいつでもできるし、とまたしまいこんだ。
読み返すと当時の情景や気持がよみがえって胸の底がうずく。
良くも悪くも自分の軌跡に違いないのだから大切にしなくてはと思う。
「その時の言葉」はいつ読み返しても、捨てるに忍びなかった。

それが今回は不思議なことに、あっさりと気持が決まった。
入院したこともきっかけのひとつになったのかもしれない。
もし、ある日、急に自分で自分のことができなくなったら。
それが今日だとしたら。
そう思ったら、古い日記を捨てることに迷いがなくなった。

1ページ破くとためらいはすっかり消えた。
腱鞘炎になりそうな指をさすりつつ、ひたすら破いては紙袋に詰めた。
ぎゅうぎゅう詰めにして3つの小さな袋に収まった私の20年間。
新しい季節を迎える前に、大きな宿題を片付けたようにさっぱりした。



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                トチの木



ノートの中には、本から書き写した言葉もたくさんあった。
この詩も。


峠   真壁 仁

峠は決定をしいるところだ。
峠には訣別のためのあかるい憂愁がながれている。
峠路をのぼりつめたものは
のしかかってくる天碧に身をさらし
やがてそれを背にする。
風景はそこで綴じあっているが
ひとつをうしなうことなしに
別個の風景にはいってゆけない。
大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける。
峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい。
みちはこたえない。
みちはかぎりなくさそうばかりだ。
峠のうえの空はあこがれのようにあまい。
たとえ行手がきまっていても
ひとはそこで
ひとつの世界にわかれねばならぬ。
そのおもいをうずめるため
たびびとはゆっくり小便をしたり
摘みくさをしたり
たばこをくゆらしたりして
見えるかぎりの風景を眼におさめる。




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「ひとつをうしなうことなしに
別個の風景にはいってゆけない。
大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける。」


生きてゆくとは痛みの連続なのかもしれない。
大きな喪失と呼べるほどの痛みを、私はまだ味わっていないとも思った。
まだ、あたらしくなれる、とも。

自分が記した言葉は確かにいとおしかった。
あの膨大な言葉は、日々、明日へと一歩踏み出すための必然だった。
よくがんばってきたじゃないかと思えた。
だからもう、書いたものはここになくても大丈夫になったのかもしれない。







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by kotoko_s | 2017-09-03 13:23 | 読む | Comments(16)

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by haru
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