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桑の思い出

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桑の実が黒く熟す季節になると
こんなところに桑の木があったのかと、初めてその存在を知る。
桑の葉を見ると思い出すことがある。
小学校1年のとき、同じ組の女の子の家に、時々遊びに行った。
特別に仲がいいというわけではなかったが
その子は私に優しくしてくれた。

引っ越してきたとき、近所を歩いていたらいきなり石が飛んできた。
振り向くと草むらの中に男の子が立っていて、「ばーか」と言った。
私は都会からやってきた異邦人で、見知らぬ子はそういう洗礼を受けるものだと知った。
学校にも馴染めなかった。
山の中を歩いていく長い長い帰り道には
きまって洟垂れ小僧が待ち伏せしていてうんざりした。

同じ組の女の子は(名前も忘れてしまったが)優しかった。
無口で、あんまり笑うこともなかったが。
いつものように男の子たちにかまわれたあとの私を
その日もそっと待っていて、一緒に帰ってくれた。
その子の家は大きな農家だった。

「おかいこさんがいるから」と言った、「だから入れないの」。
家の門をくぐったところの敷居の前に並んで座った。
今は家中、お蚕さんなの。
だから、人は狭いところでそうっとしているのだと言った。
ちょっとだけ、見る?と言われたが、家には入らなかった。
そこらじゅうから、「さわさわさわさわ」と
静かな雨の降るような音が聞こえた。
蚕が桑の葉を食べているのだと、教えてくれた。

しばらくすると、奥からその子のお母さんが
おむすびを持ってきてくれた。
大きな、まっ白なおむすび。
何か入っているかと思いながら食べたが、何も入っていなかった。
私は、何も入っていない塩むすびを、そのとき初めて食べた。

母の握ってくれるおむすびには梅漬けが入っていた。
正確にいうと、カリカリの梅漬けを細かく刻んで、ごはんに混ぜて握ったものだ。
桜の花びらが散ったようにきれいなその小さなおむすびを
「桜のおむすび」と私は呼んでいた。

大人になって家族におむすびを握るたびに
あのまっ白な、何も入っていない大きな塩むすびと
母の小さな桜のおむすびを思い出す。
どちらも、大事なわたしの思い出。


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歩いて帰る道すがら、まっ黒に熟れた桑の実を頬張った。

幸せな、信州の思い出です。




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by kotoko_s | 2017-06-21 23:49 | ある日 | Trackback | Comments(8)

ダメなんですか?

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先日、ドラッグストアの化粧品の棚をなんとなく眺めていたら
美容部員らしき女性がすっと近づいてきた。
紫外線対策のあれこれをお勧めしますよ、というわけだが
その彼女の顔がぎょっとするほどまっ白なのだ。
今日は急いでいるのでまた、とその場を離れようとすると
能面のような顔で薄く笑って
「手の甲のシミが目立ちますが」

たしかに、私の手の甲にはぽつぽつと薄茶色のシミが浮き出ている。
六十近くもなればそんなの当たり前じゃないか。
鉛筆みたいにやせっぽちの彼女はまだ20代後半か。
人生の先輩に対してもうちょっと優しい言い方ができないものかねえ。
いや、彼女のように若いころからまっ白に塗っていればよかったのかねえ。
なんだか「あなたはそれじゃダメ」と言われたようでしょんぼりして帰ってきた。

数年前、ジーパン屋で選ぶのに迷って
そばにいた若い女性の店員におそるおそる悩みを打ち明けた。
なぜか若い子のいる店では卑屈な気持ちになっていけない。
太腿が張っているんですが、合うのないでしょうか。
「それはウチのじゃちょっと厳しいですね」

たしかに、キビシイかもしれない。
だが、もうちょっと言い方ってものがあるような気がするよ。
ここでもまた「あなたはそれじゃダメ」と言われたようでがっかりした。

若い子の店に入るからいけないのかもしれない。
しかし、店自体が選ぶほどないのである。
お世辞を言えとは言わないが、もうちょっと気持ちよく会話できたらいいのに。

昨日、もう怒りません、と思ったが。
別に怒っているわけではないが。
なんとなくもやっとしたので書いておきます。





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by kotoko_s | 2017-06-17 08:24 | ある日 | Trackback | Comments(14)

たいしたことではない

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先日、インターネットで古本を何冊か注文したら、一冊が汚れていた。
「表紙に少しシミあり」という説明も承知の上だったが
これを「少し」といいますか、と言いたくなるような濃いシミ。
イヤな気持ちになりすぐさまきれいな包み紙でカバーしてしまった。
中を開くと数ページ目に、ルビが書き込まれている。しかも赤いボールペンで。
そういえば、書き込みナシ、とは書いてなかったなあと後悔したが仕方ない。
せめて鉛筆にしてほしかったが、それよりも吃驚したのはそのルビが間違っていたことだ。

「詠って」というところに「よむ」とふってある。
「って」はどうするの。
「うた」だよ、きっと、この場合は。
「よむって」と読んだのかなあ、まさかなあ。
辞書で調べて「よむ」と読むんだね、と知ってメモしたのか。
ぶっきらぼうな赤いボールペンのひらがなが
この本の最初の読者を想像させてちょっと可笑しくなった。

私だってたまたまこの字を知っていたというだけで
ほかの何万という言葉を知らずに平気な顔して生きているのだ。
表に出ない分、恥をかく機会がないというだけである。
あ、ここでやっているかもしれないですね。



午後の朴の木。田中一村の絵を思い出した。
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雑誌の編集をしている友人が、取材した人物の名前を間違えたまま載せてしまった。
人名というのは校正でも特に緊張する部分ではなかろうか。
それでもこういうことはあるのだ。
友人は真っ青になってすぐさま電話をかけ平謝りに謝った。
すると相手はこともなげに言ったそうだ。
「私はそういうことはまるで気にならないんですよ。だからあなたも気にしないで大丈夫」

申し訳なくて恥ずかしくてありがたくて、と友人は涙ぐんで言った。
似たようなことを経験しているから、その気持ちはよくわかる。
それなのに、自分の至らなさを忘れて私は結構、他人に厳しい。
相手の勘違いをいつまでも覚えていたり。いやらしいよなあ、と恥ずかしくなった。
たいていの間違いはたいしたことではないのだ。

名前を間違えられても「まるで気にならないんですよ」とさらりと言って
恐縮している相手を救う。
そんなおおらかな心持ちに私もなりたい、と思ったことでした。




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by kotoko_s | 2017-06-14 16:29 | ある日 | Trackback | Comments(10)

 あれこれ


by haru
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