カテゴリ:観る( 5 )

久しぶりに映画を観た。
映画館で観たのはいつ以来だろう。
何しろ近場に映画館のない土地である。雪の多い季節に遠出は難しいし。
ようやく3月。
「今冬もよく頑張ったで賞」を自分に贈呈する時期がきた。
ただ冬を過ごしただけでなにそれと言われそうだが。

観たくて観たくていてもたってもいられなかったミュージカル映画『LA LA LAND』。
ちょうど行きやすい距離のところで上映中なのは幸運だった。
館内には30人いたかどうか、土曜日でこの作品で、ウソでしょう、というゆったりさ。
小さいスクリーンだが、なんといっても劇場だもの。
本当に映画館で観ているんだという状況にも感激していたのだが
映画が始まった途端、もうほとんど泣かんばかりになってしまった。

せつなくて胸がいっぱいになる。
悔い多き自分の人生も花束で祝福されたよう。
すべての夢見る人にYesが贈られる映画だった。
役者も音楽も素晴らしい。心が震えた。

日帰りしようと思えばできない場所ではなかったが、一泊して本当によかった。
宿では本を読むか何かDVDを観ようかと思っていたが、余韻にくるまれて早く休んだ。
誰かと今観てきた映画の話をしたかったが、一人だったし。
妹にメールしたら「よかったよかった、私は3回観た」と返ってきた。

翌朝、帰る前にもう一度観た。
これが舞台だったら、会場総立ちで拍手喝采だっただろう。
私は2日間とも、エンドロールの前後にひとり、小さく拍手した。
帰宅してインターネットでサントラを注文する。
観る前はなるべく情報を入れないが、いまや動画を片っ端から見ては思い出に耽る。
明日からは何があろうともがんばれる気がする。


私は映画が好きだった。いろんなことを思い出した。
大都会に住みたいとは思わないが。
映画館のある、せめて近くにある土地で晩年は暮らしたい、と本気で考えた。







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by kotoko_s | 2017-03-05 23:00 | 観る | Comments(8)

「海街diary」のこと

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映画「海街diary」を観たのは夏の帰省の折だった。

綾瀬はるか演じる長女・幸(さち)があなたに重なる、と知人に言われたが
それはその通りだろうと思う。
長女(長子)というヤツはどうしてこう、ひとりでなんでも抱え込んでしまうんだ。
幸の不器用さをいとおしい気持で見た。

家族を棄てて出ていったまま死んだ父親、子どもを守るより自分を選んだ母親。
そして腹違いの妹の存在。
深刻で厳しい「機能不全家族」には違いない。
にもかかわらず、この全体を流れる穏やかさはなんだろう。

姉妹の住む古い家がその穏やかさを象徴する。
カマドウマの潜む古びたタイルの風呂場、狭い階段や縁側、梅の木のある庭。
それらがどこもきれいだった。古いものを手入れして守り続けていることがわかる。
そこにあるものをあるがままに、けれども少しずつ、磨いているのだと思った。
ああ、この風景はよく知っている、とたびたび感じた。
祖母と暮らした家や、転々と引っ越したいくつかの借家。私自身の遠い日が重なる。


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映画の原作が吉田秋生の同名の漫画だということは、後に知った。
吉田秋生は好きな作家の一人だったのに。
映画を観たあと、この作家への懐かしさもあってコミックをオトナ買いしてしまった。
原作は今も連載中である。姉妹の物語は続いているのだ。
映画では描かれなかった部分が、原作にはもちろんたくさんあるし
原作よりも映画で印象深かったシーンというのもあった。


映画のパンフレットの最後に、是枝監督の言葉がある。

『なぜ原作には3姉妹の中に、ひきとった腹違いの末妹をいじめたりする姉がいないのだろう?
それが脚本を書いている時に浮かんだ疑問だった。

しかし、この原作者はそのような誰もが考えるであろうドラマチックな展開を選択しなかった。

私は浅薄な人間の対立をことさら強調し、あおり立てるような態度は、この物語にはふさわしくないのだろうという判断に至ったのである。』


末妹のすず(広瀬すず)がボーイフレンドの自転車の後ろに乗り
満開の桜のトンネルを走ってゆくシーン。
涙が出た。
やわらかなものに胸の扉をそっとノックされるような。

美しい映画だった。
もう一度観たい。



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by kotoko_s | 2015-11-09 09:18 | 観る | Comments(10)

映画が観たい

買物のついでに、○○ヤでDVDを4本借りてきた。
映画を観るのは久しぶりだ。

映画館がいっぱいある街で働いていたとき
金曜日は「レディースデイ」で半額になるところがあって
毎週、仕事が終わるとダッシュで駆け込み、2本立てを観た。
翌日が休みなら、オールナイト。
映画は映画館で観るのがあたりまえだった。
映画館もたくさんあったが、暇も体力もたっぷりあった。

会津に来てから地元で観た最後の作品は
たしか「めがね」だったと思う。
「かもめ食堂」がとても好きだったので
そのつづき、という感覚で観たのがいけなかったか。
小林聡美と市川実日子の雰囲気がかぶっている感じだったし。
でも、ちょっとだけ出た薬師丸ひろ子は好きだった。
のちに朝の連ドラ「あまちゃん」で彼女を見たとき、「めがね」の森下を思い出した。

これを観た映画館も、もうない。
会津には映画館がなくなった。
若い人にきくと、映画を観るときは米沢とか郡山に行くらしい。
でも、そこまで行くのは、今はなかなか難しい。

映画は映画館で観るものだと思っていたが(今もそう思っているが)
こういうところに暮らしていると、DVDってすごくありがたいね。

本日借りたのは
「僕の美しい人だから」
「フォロー・ミー」
「ブリジット・ジョーンズの日記」
「アメリ」

このうち2本は観ていないが
残りの2本は何度も観た。
映画好きとはもはや言えない。懐かしがるために借りたのだ。



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by kotoko_s | 2015-06-09 23:50 | 観る | Comments(10)

雪の女王

毎日手帳に何かしら書き付けないでは落ち着かないくせに、ここに書こうとするとヘンに構えてしまってなかなか書き出せない。立派なことを書こうとか上手に書きたいとか思ってはいけません、なんでもいいからとにかく見たまま、感じたままを素直に普通に書くことです、ということはいろんな人が書いている。その「見たまま・感じたまま」を「素直に普通に」「書く」のがタイヘンだ。ちょっとうまいこと書きたいという邪念があるからです。

さて。邪念は消せないが記憶はどんどん消えていくので、残っているうちに記録しておきます。
今回の里帰りでは珍しく2本も映画を観た。
映画は大好きだが普段は観られない。住んでいるところに映画館がないからだ。遠出すればいいが、上映時間と往復にかかる時間を考えると、そこまでして観たい作品か、となってしまう。
だから今回はすこぶる幸運だった。

「ある精肉店のはなし」のことは書いた。もうひとつは「アナと雪の女王」。
実は苦手だったディズニーのイメージが変わった。繊細な映像と音楽の素晴らしさに興奮した。日本語吹き替え版もあるが、観たのは3Dの字幕。もう一度、字幕で観たい気がする。

前にここにもアップしたが、「Let It Go」はとても素敵な曲だ。
http://kotokok.exblog.jp/21884097/
成長するにつれ魔法の力をコントロールできなくなった姉・エルサがひとりきりの氷の世界で高らかに歌い上げるのは、「私は変わる、ありのままの自分になる」という決意。素晴らしい歌詞なのだが、作品を観る前、歌だけを聴いていたときにはわからなかったことがあった。

あのときのエルサはまだ、ほんとうに強くはなかったんだと思う。
大切なひとたちを傷つけたくないと遠くの世界へ去っても、そこにたったひとりきりでいる限り、「ありのまま」を生きたことにはならない。喜びも悲しみも怒りも寂しさも、誰ともわかちあえない自分ひとりの城なんて。
エルサが救われるには、子どもの純真さをもった妹のアナや仲間たちの力が必要だった。アナもまた、友だちの愛に支えられて成長できた。扉を閉じたままのお城では、決して幸福になれない。
だから最後の場面はちょっと意外で、いいなと思った。エルサは魔法を封じ込めるのではなく、ありのままの自分を受け容れることができたから。
姉妹という設定のため、どうしても姉のほうに感情移入して見てしまいました。


子どものころ読んだ「雪の女王」は、怖くて不安をかきたてられたが、惹きこまれる魅力に満ちていた。やっぱり、「雪の女王」といえば『カイとゲルダ』である。
タイトルは似ているが内容はまったく別の、アンデルセンのあのおはなしも、また読みたくなった。

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by kotoko_s | 2014-04-29 13:35 | 観る | Comments(2)

「ある精肉店のはなし」

先日、4泊5日で里帰りした。
1月に行ったときからたった3ヶ月だというのに、親の老いはどんどん先へ進んでいて、その速さについていけない。
それでも、ここはというところに傾ける気力・体力がまだ多少はある母が「また今度でもいいわよ」と言う映画を(私の分のチケットも購入済みだった)、父と3人で観に出かけた。
また今度、はないのとおんなじ。親と映画館に行くというのもこの先ないかもと思うが、この映画が公開されている場所にいるということが、私には奇跡だった。

「ある精肉店のはなし」(監督:纐纈<はなぶさ>あや プロデューサー:本橋成一)はドキュメンタリー映画だ。
大阪貝塚市。住宅街を、一頭の牛が男に引かれて歩いていく。屠畜場に着く。
生きていた牛が解体され店頭に並ぶまでの一部始終を、私は初めて知った。
ダメだろうな、見ていられまい、と思ったが、最後まで目をそむけずに見た。
牛のからだというのはきれいなものだなあと思った。きれいに育てられた牛だ。
丹念になめされた皮は、だんじり祭りの太鼓に姿を変える。屠畜解体という技術の見事さ、牛のいのちに真剣に向き合う人たちに見惚れた。

7代目を受け継いだ兄弟の胸には、被差別部落ゆえのいわれなき差別を受けてきた亡き父親の姿がいつもある。
長男が集会で淡々と話す言葉が印象に残る。先生と呼ばれる人たちと、牛を屠畜し解体して売る肉屋と、どこが違うのでしょう。
この大家族の自然な姿にどんどんひきこまれていく。ユーモアがあり、ひたむきで、しみじみとやさしいひとたち。特に女たちが素敵なんだなあ。


関西ではないが、子どもの頃に引っ越して住んだ村で、初めて部落のことを知った。隣の家がそうなんだよ、と大人が話しているのを聞いた。だが、うちではそういうことは関係なかった。よく遊びに行った。またよそに越していくまでの数年間、そのおうちの人にはよくしてもらった。
ほかにもそういう話が身近にいくつもあった。家の本棚で「ふたつの傷あと」や「橋のない川」を読んで、子どもながらにあれこれと考えた。
どうして世の中にはこんなことがあるんだろう、なんでなくならないんだろう。

奥会津に来たばかりの頃、私は道端の立て札にびっくりした。
『部落内徐行』

一瞬、目を疑った。このへんではこう呼ぶのか。ムラのひとに訊くと「そうやあ、どこでもそうでねぇのが」
部落とは単に集落のことだった。東北には、被差別部落というものがないと知ったのは、もっとあとになってからだ。



このドキュメンタリーは、そんなことを声高に訴えてはいない。
しなやかで、たくましくて、ありがたくて、いいひとたちに会わせてもらったと思う。見終わって、すがすがしくあたたかな余韻に包まれた。
最後の場面がまたいい。朝日を迎える店先。ああ、美味しいお肉が食べたい。
タイトルの下にある「いのちを食べて いのちは生きる」―ほんとうにそうだった。ありがとう、いろんないのち。
私も、このいのちを、元気に生きよう。

「ある精肉店のはなし」


※ 「東北には被差別部落はない」と書きましたが、認識不足だったことがわかりました。よく確認せずに書いてしまったことをお詫びいたします。(2014.5.16付記)

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by kotoko_s | 2014-04-28 13:59 | 観る | Comments(2)

 あれこれ


by haru
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