カテゴリ:ある日( 104 )

行く場所・帰る場所

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久しぶりに実家へ行ってきた。
数日留守にしただけだが、ずいぶん長く離れていたような気がする。
新幹線2本、在来線を2本、3回乗り換えて
最寄の駅からは予約しておいたデマンドバスで家路につく。
会津に入ったとたん、列車の窓から青空が消え
空も大地も境目のない雪景色に変わる。
ああ、帰ってきた、と思う。

私の地域は数年前にタクシーがなくなった。
乗車する人の減っていく路線バスを整理して
デマンドバスが地域をこまめに巡っている。

実家も相当な山の上にある。
父と母が住み始めた30年ほど前に較べると
人口はずいぶん増えたのに生活は奥会津より不便なのだ。
市街地に下りればデパートも大きな映画館も病院もあるのだが
昔、別荘地だった両親の住む地域はいまだ生活圏と見做されていないのか、
バス停もゴミの集積所も、歩いていける距離にはない。
いつも支えてくださるご近所の方々がいなかったら
何もかも不自由になった両親は彼の地にはいられない。
二人だけの生活がいつまで続けられるか心配は尽きないが
今はこうしてできる限り行くこと、毎日電話で話すことが私にできること。



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実家にあった雑誌『婦人之友』で
羽仁もと子の言葉を読んだ。

「自由の翼をのべて」

行き詰まった世界を、果しない天が掩(おお)っている。凍る大地を、かえって親しげに日光が見舞ってくれる。新しい年が贈られて来る。行き詰まっているものは、天を仰いで慰めを得よう。凍る大地のみを眺めずに、暖かい日を見よう。

きのうのままである事実を以て、われわれの持つ事実の全部だときめているのは、地を見て天を見ないのです。すべての粉飾をすてて赤裸々な冬の大地のような気持になって、天の光を慕いましょう。

さびしい枝に春が返り、冷たい土が暖められて、いろいろな芽を出すように、沈滞の中に死んでしまったような姿の中に、復活の力が脈々として動いているのは我々の生命です。きのうのままに見えているさまざまの事情も、祈って待つものには、たしかにそれが希望に向って動いています。

(『自由・協力・愛』1934、抜粋)


羽仁もと子は1873年、青森県八戸生まれ。
日本で最初の女性新聞記者であり、のちに『婦人之友』を創刊、自由学園を創立した。
彼女の言葉は、雪深い東北の生まれであることと無関係ではないだろう。

「行き詰まっているものは、天を仰いで慰めを得よう。凍る大地のみを眺めずに、暖かい日を見よう。」

ほんとうにそうだ。


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帰りの列車に揺られながらいろいろな思いが湧いてくる。
車窓をすっぽり覆う雪は、もう馴染んだ風景なのだ。
20年暮らしたこの土地が、私の「帰る場所」になっていることを
今更ながらあらためて思う。
この地の冬が年々辛くなっているので
やがては親の近くへ行きたい、と考えたこともあったけれど。

この地に来なかったら
きっと私はすべて知らないままだった。
暗い雪の日々、閉塞感にこんなに息苦しくなることも
春を待ちわびるちいさな明かりのような気持を頼りにすることも
大雪のあとの青空の、泣きたくなるような美しさも。



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今、ここになすべきことや守りたい人がいて
遠くにもまた大切なものがある、それは幸せなことだろう。

凍りついた大地を知ってよかったと思う。
曇天の向こうにはいつも光が待っていることを教えてもらって。




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by kotoko_s | 2018-02-09 17:17 | ある日 | Comments(12)

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晴れた!


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トーチャンが玄関前から
台所の窓まで覆っていた雪を飛ばしてくれる。
屋根には雪がまだ残っているので
私は見張り番をしながら
バアのソリの道をゆるやかなスロープにする。
汗びっしょり。


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遠くの屋根に人がいる。
1階の屋根の雪を下ろしているのだ。
今朝はムラ中、「雪かたし」。
あちこちから除雪機の音が響く。


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お隣さんまでカンジキで踏みながら道を作っている。
冬はおちおち留守にできない。
自分の家だけでなく、ほかの人に迷惑をかけるからだ。


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予報では曇りのち雪だった。
思いがけない青空に嬉しくてたまらない。
光はまだごくやわらかく頼りなげだが
ありがたくていつまでも浴びていたい。
久しぶりのお天道様。
ありがとう。



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by kotoko_s | 2018-01-28 10:07 | ある日 | Comments(12)

一年が終る

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今年も残すところ数日となった。
これからの日々は年取りの支度に追われるのだ。
今朝は吹雪。大雪警報が出た。わがや観測所では積雪70センチ。
ああ、トーチャンよ。
妻は温泉か南の国へ行きたいぞ。
朝からバアが「なますこさえといてもいい」「ひたし豆もやるんだべ」と
何十回目の念押しをしている。
バアは今日、デイサービス。
「雪だからやめんべか」と言っていたが
早々にこしらえた大きなボール一杯のなますを見せたら
「友だち来てっかもしれねぇから行ってみっか」
ソリに乗せられて出かけて行きました。
よかった(笑)


この一年をふりかえってぼんやりと浮かぶのは
「体調」とか「病気」とか「入院」とか
あまり明るいとはいえない文字で
それは自分のこともだが、親も大きく変化した一年だったからだろう。
それでもみんな、元気に年取りを迎えられる。よかったよかった。


一大決心した割にいとも簡単に挫折したのが、「服は買わない」である。
どうしても必要に迫られたものをひとつ買ったら
タガがはずれてしまったのがなんとも軟弱。
中でも大きな買物だったのが、ダッフルコートだ。
重くて肩が凝るからなあ、もう着ることもないだろうと思っていたが。
これからますます身体は楽なものを求めるだろう、だったら今しかない。
オリーブグリーンのダッフルコートと
ついでに革のショートブーツもえいやっと買ってしまった。
ああ、嬉しい。お洒落の楽しみを思い出す。
これを着て街へ出でかけた。
雪の地ではどこへ行くにもダウンジャケットと長靴が定番だもの。
わくわくする気持ちを思い出せたのだから、これもよしとしよう。
そのかわり、要らなくなったものはどんどん手放した。


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ここ数年の中では珍しく、今年は本をたくさん読んだ。
帰省の列車の中で、隣の部屋に義母の気配を感じながら
一人になれる時間は意外とあった。
長いこと悶々としていた事柄には一応の決着がついた。
人生的課題にも思わぬところから優しい答えが出た。
こうしてゆっくりと思い出していくと
良いことがとても大きく輝いて見える。
さあ、次の幕が上がる準備は万端だよ、と
背中に温かい手をそっと当ててもらっているような。

伝えたいこと、表現したい気持ち。
それを言葉にして届けることがとても難しい一年でもあった。
実際に誰かと話すことも、ここに書くことも。
言葉にして出せば途端に自分の言いたいことからずれていってしまう、
そんなもどかしさをいつも感じていたような気がする。
でも、言葉ってそういうものかもしれない。
だからこそ表現すること、
誰かと関わりあうことをあきらめてはいけないのだと思う。



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色々と書き始めたらもっと書きたいような気持ちになってきましたが。
そろそろ台所に戻らなくてはなりませんので
このへんでお仕舞いにいたします。
何はともあれ、今年はよい一年でした。感謝です。

おいでくださった方々、ありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。



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by kotoko_s | 2017-12-27 09:22 | ある日 | Comments(14)

体を使う

この時期は天気予報を見ながら畑優先である。
今年も秋仕舞いの一大イベント、大根の収穫をした。
お百姓の仕事は中腰じゃないと務まらない。
ああ私には到底務まらない。
「腰痛ベルト」をぎっちり装着して、いざ。


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トーチャンが抜いて、私が葉を切り落とす。
この葉っぱ、昔は干して刻み、少ないコメに混ぜて「カテマンマ」にした。
今はほとんどの葉っぱを畑に返す。


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畑は家のすぐ上にあり、一輪車に積んでトーチャンがおろしてくる。
庭先の「ミジャ(水場)」で私が洗う。
今はいいゴム手袋があるから全然冷たくない。

ちょっと軽いのは、切ってみるとたいてい真ん中に穴が空いている。
いいところだけ切って、これは漬物用。
よいものが100本あった。来年の春まで食べつなぐ。


嫁いできたころは、山の畑でつくっていた。
車に積んで往復したが。
その昔は義母と義父が背負って家まで歩いて運んでいた。



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白菜は、朝露の乾いた午後に収穫する。112個。年々少なくなっている。


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今日はガラス窓に「雪囲い」(冬囲いとも)をする。
降り積もった雪と屋根から落ちる雪で、一階部分はほぼ埋まってしまうから
雪の重みでガラスが割れないようにカバーする。
今は透明なプラスチック板だが、昔は「オオダリ」といって
丈高いカヤを編んで覆いにした。
そのためのカヤ刈り場が山にあって
刈ったカヤに自分の体が埋まるほど背負って何度も往復した。


            *


えーと。実は腰痛の話を書こうと思っていたのですが。
昔のひとのまことに体を痛めつける過酷な労働を思い浮べていたら
なんだかしゅんとしてしまったので、今回はここまでにいたします。

91歳のバア。よく働いてきたね。
すごいね。





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by kotoko_s | 2017-11-13 04:21 | ある日 | Comments(18)

根っこ

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頬がひやっとして寒い朝。
こんな日はきれいに晴れる。
バアの指令のもと、トーチャンと来年のレタスの苗を植えた。
ゴム長の足の裏が冷たい。
2列で88本。こんなにどうするんでしょう。


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終って、バアはとっておいた苗を親戚に届けに行った。
トーチャンに花壇を耕してもらい、私はチューリップの球根を植える。
今年は半分も咲かなかった。
モグラが掘ったトンネルをネズミが通りながら球根を食べたらしい。
来年はネズミが球根を嫌いになってくれますように。

落ち葉を掃いたり、古い鉢植を整理したりしていると
だんだん背中が暖かくなってくる。
秋の日差しのなんてやわらかなことだろう。


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彼女がこの世にいるかぎり(もう九十歳に近いはずだ)、私はまだヨーロッパに自分の根(ルーツ)をもっている気がする。根、それも主根を。手元の辞書によれば、主根とは「植物の主要な根。通常、側根よりも頑強で、茎からまっすぐ下に伸びる」とある。この根は幼年期の根であると同時に、幼児期の言語の根であり、幼児期に暮らした土地の根でもあると思う。そして私にとっての根はベルギーであり、ポーリーンなのだ。(『70歳の日記』メイ・サートン、みすず書房、2016)


ポーリーンとは、「もう90歳近いはず」と書かれている大切な友人のこと。
メイ・サートンはアメリカ人だが、ベルギーに生まれ、4歳のときに両親とアメリカへ亡命したのだ。


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どんなに長くこの地で暮らしても、私の根(ルーツ)は別にある。
普段そんなことを意識して生活しているわけではないが
時折、「ここではない、どこか」へ行きたくなり
「ここにはない、なにか」が欲しくなる。
それは多分、いいも悪いもない、それが私というものなのだろうから。

でも、もしここに来ることがなかったとしたら。
ずっと住み慣れた都会にいたとしたら。
私の中に太く頑丈な根っこはついに育たず
網の目のように混乱した細い根ばかりで
いつ倒れてもおかしくはなかったろう。

私の遠くにあるはずの「主根」は。
ここで育てられてきたんだろうと思う。



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by kotoko_s | 2017-11-06 11:13 | ある日 | Comments(14)

山へ

先日たずねた山。

ここは好きな場所のひとつで、以前はよく来たものですが。
このごろは、休みともなると街へ出かけてしまって。
久しぶり。

やっぱり、いいなあ。


山、といっても「登山」するわけではありません。
このあたりで「やま」といったら「畑」とか「里山」を指す。




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ホオノキの葉は茶色くなった。
枯れたものから枝を離れ
風に乗ってゆっくりと舞い降りていく。

空を仰ぐと眩しい。




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とてもきれいなススキを見つけました。
いいことを思いつきました。
まだ秘密です。




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by kotoko_s | 2017-10-29 22:55 | ある日 | Comments(8)

いいひと(仮)

日中でも10度を切るようになって、秋をすっ飛ばして冬の気配のするこの頃。
私はこの時期からもうダメなのである。
一日中、夕方みたいな薄暗さ。
もっと光を!!

この冬こそ元気にゲラゲラ笑って過ごそうと
今年も思ってはいるのだ。
だがこの調子では今冬もあぶない。
こういう、布団をかぶってひきこもっていたい気分のときこそ
えいやっと力を振り絞って活動するべきなのだ。

まずはここに書くことで
無理にでもひきこもりから脱却しようという作戦。

この記事のタイトル「いいひと」について
のちほどちゃんと書こうと思います。

季節の写真も撮るぞ。

ではまたあとで。







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by kotoko_s | 2017-10-21 08:29 | ある日

自分のために


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先日、胆のう摘出手術のために入院した。
胆のう摘出というとなにやら恐ろしげだが
友人にもいるし、何より家族の半数はやっているので
私にとってはさほど特別感がない。手術も腹腔鏡だし。
胆石はあっても症状がなければ経過観察でいいが
私は何度か症状が出ていたので、胆のうごと取ることになった。
昔は石だけ機械で砕いたり薬で溶かしたり、といったこともあったようだが
再発の恐れもあるので最近は胆のうごと取っちゃうのが主流らしい。

腹腔鏡手術は20年近く前に一度体験している。
退院のとき、穿いてきたジーパンのボタンが留められなかったので
(おなかがふくれているし、おへその傷が痛い)
今回はワンピースを用意した。
スリッパは危険なのでかかとのある靴にしてください、というので
旅行用のきれいなブルーの室内履きにしたらこれが軽くて便利だった。
使い捨てにして惜しくない安さだったし。
と、入院に向けての買物もなんとなくわくわくする。
不謹慎かもしれないが、このところ疲れもたまっていたので
いい骨休めになるなあとちょっと楽しみにしていたほどだ。

当初、術後2日ぐらいで退院も可能と聞いて、あわてて
「先生、できることなら1週間は入院させてください」とお願いした。
「帰ったらどうしても動かなくちゃならないので」
女性は皆さん、そうなんですよね、と優しい先生は笑って
ベッドが空いていたらOKですと言ってくださった。
バア、トーチャン、ごめん。

結局、回復状況もみて6日目に退院したが
あんなに休みたかったのに、退院当日は回診前に早々と着替えてしまったくらい、早く外の空気に触れたかった。
体はもちろんだが、なんとなく自分の中身が生まれ変わったような気がして、早くそれを確かめてみたいような不思議な心持ちだったのだ。


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命に関わるような病気ではなく短い期間だったが
今回の入院はとても大きなことを教えてくれた。
入院は(検査入院も含めてだが)今回で6度目である。
考えてみると、自分で思っていたほど私は頑丈ではなかったのだ。
昔からよく「無理しないで」と言われていた。
そう言われても、自分では無理をしている自覚がない。
どこまでが大丈夫で、どこからが無理になるのかがわからない。
けれども、この入院中にああそうだったんだ、と気づくことがあった。

手術の翌日の晩、微熱と頭痛で眠れなかった。
術後は熱が出ると知っていたし、頭痛は前からだし。
だから私は我慢した。
我慢して、でもどうしても我慢できなくなって、ナースコールを押した。
看護師さんに、いつからですか、と聞かれた。我慢しないでくださいね。
痛み止めの薬と冷たい枕をもらって、ようやく眠ることができた。

翌朝すっきりと目覚めて、とても気分がよかった。
体が楽だとこんなに気持ちのいいものなのか。
そういえばいつもなんとなく不調を抱えていたなあと思った。
昨夜、なぜ苦痛を我慢していたんだろう。
苦しいと訴えて助けを求めることを、なぜためらっていたのだろう。
これまでの生き方の癖のようなものがいろいろとよみがえってきて
あのときも、あのときも、と思い当たった。



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自分を後回しにして頑張らなくてはならない時というのが結構ある。
そういうときはまた力も湧いてくるもので、多少の無理もきく。
でも、それが常態化してしまったら
後回しにされた自分はどこで休むのだろう?

あんまり自分のことをちゃんと考えてこなかったんだな。
無理かどうかもわからなくなるほど、身の丈以上に頑張りすぎていたんだな。
私はいったい何が不安だったんだろう。
頑張らないとダメだと自分を駆り立てる不安は、どこからきているんだろう。

そうか、やっぱり、誰かに認められたかったんだな、というところに落ち着くまで、暇にまかせて検証していた。
辿りついたのは、「自分のために生きよう」であった。

自分のために時間を使うことにいつもうしろめたさを感じてきた。
楽しむことに罪悪感があった。
これは私の成育歴とも関係があるだろう。
だから気づいた時点でそんな思い違いは手放していいはずだが、いまだにそれがうまくできないままだったのだ。
「ひとのために」「社会のために」が幼い頃からの母の口癖だったが。
真の意味でそれができるのは、自分自身を大切にできる人である。

入院というのは非常事態で、家族には心配も世話もかけたが
おかげさまで大切なことを学んだ。
何か特別なことができたり人から認められることは嬉しいことではあるけれど
それよりも。
自分の心身をできるだけ安らかに健やかに保ち
素直に心を開いて、人に甘えさせていただくことに感謝できる。
明るい心持ちの人間になりたいものだと心から願ったことでした。


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何かのご参考までに。
実は数年前に胆石があることは知らされていた。
痛くなったら来てくださいと言われていたのをすっかり忘れ。
食べ過ぎたり油モノを摂ったあと必ずもたれや吐き気や痛みがあったのを
市販の胃薬は効かないとか、あの店の油は古いんだとか、とにかく何かのせいにして、決して自分の胆のうのことは考えなかったのである。
胆のう炎の痛みは激烈だといわれるが、それは急性の場合。
私のように痛みに鈍かったり、我慢できないほどではない場合も症状は出ているのです(主にみぞおちから右側、背中なども)。
また頭痛は首の痛みからきているのですが、最近はひどくなっていて。
これを機にパソコンに向かう時間も減らし、生活を変えようと考えています。



いろいろ反省し、心から感謝いたします。
長いものをお読みくださって、ありがとうございました。






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by kotoko_s | 2017-07-30 14:06 | ある日 | Comments(18)

遠くへ

今年5月に帰省したときの父母の庭  
父と母がこの土地に初めての家を構えたときに
植えた石楠花(シャクナゲ)も大きくなりました。

わが家はずっと、借家を転々としてきたのです。
この家を建てたとき、母は50歳。車の免許をとりました。



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木の足元を埋めるツルハナシノブ


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ツツジもきれいだったね。
薔薇はこれからだった。
母は「こんな山の中に、薔薇なんて」と言っていましたが。
父は、どうしても薔薇を植えたかったのです。
たぶん、生家の庭が忘れられなかったのだと思う。

ブルーベリーも今頃、実をつけたかな。
鳥が食べに来てるかな。

父も母も、草花や木や、野鳥が大好き。
私もその好みを受け継ぎました。
子どもたちの中で「おまえさんだけだったなあ」と言われる。
私の誇りです。



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遠方にふたりで暮らす両親がいよいよ
老いの道を駆け足で進んでいます。
私たち子どもは。
よかれと思ってしたことを叱られたり、泣かれたり。
たまに笑顔をもらったりしながら
毎日、電話やメールで情報交換する。
格別仲がよかったわけでもないきょうだいが、このごろは
父と母のことばかり話すようになりました。

飛んでいけるものは飛んでいく。
行けないものは、こうして。
日に何度もかかってくる母の電話を受けられる幸せを感じています。


お父さん、お母さん。
おかげさまで私たちは幸せです。
なんにもできない・・・・・・けれど。
こうして今、このときを
かけがえのない時、と大切にできることを
教えてくださってありがとう。





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by kotoko_s | 2017-07-15 00:04 | ある日 | Comments(12)

桑の思い出

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桑の実が黒く熟す季節になると
こんなところに桑の木があったのかと、初めてその存在を知る。
桑の葉を見ると思い出すことがある。
小学校1年のとき、同じ組の女の子の家に、時々遊びに行った。
特別に仲がいいというわけではなかったが
その子は私に優しくしてくれた。

引っ越してきたとき、近所を歩いていたらいきなり石が飛んできた。
振り向くと草むらの中に男の子が立っていて、「ばーか」と言った。
私は都会からやってきた異邦人で、見知らぬ子はそういう洗礼を受けるものだと知った。
学校にも馴染めなかった。
山の中を歩いていく長い長い帰り道には
きまって洟垂れ小僧が待ち伏せしていてうんざりした。

同じ組の女の子は(名前も忘れてしまったが)優しかった。
無口で、あんまり笑うこともなかったが。
いつものように男の子たちにかまわれたあとの私を
その日もそっと待っていて、一緒に帰ってくれた。
その子の家は大きな農家だった。

「おかいこさんがいるから」と言った、「だから入れないの」。
家の門をくぐったところの敷居の前に並んで座った。
今は家中、お蚕さんなの。
だから、人は狭いところでそうっとしているのだと言った。
ちょっとだけ、見る?と言われたが、家には入らなかった。
そこらじゅうから、「さわさわさわさわ」と
静かな雨の降るような音が聞こえた。
蚕が桑の葉を食べているのだと、教えてくれた。

しばらくすると、奥からその子のお母さんが
おむすびを持ってきてくれた。
大きな、まっ白なおむすび。
何か入っているかと思いながら食べたが、何も入っていなかった。
私は、何も入っていない塩むすびを、そのとき初めて食べた。

母の握ってくれるおむすびには梅漬けが入っていた。
正確にいうと、カリカリの梅漬けを細かく刻んで、ごはんに混ぜて握ったものだ。
桜の花びらが散ったようにきれいなその小さなおむすびを
「桜のおむすび」と私は呼んでいた。

大人になって家族におむすびを握るたびに
あのまっ白な、何も入っていない大きな塩むすびと
母の小さな桜のおむすびを思い出す。
どちらも、大事なわたしの思い出。


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歩いて帰る道すがら、まっ黒に熟れた桑の実を頬張った。

幸せな、信州の思い出です。




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by kotoko_s | 2017-06-21 23:49 | ある日 | Comments(10)

奥会津に暮らす


by haru
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