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「わたしを束ねないで」


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晴れた日曜日、夫が除雪機で雪を飛ばして道を開けてくれた。
これで庭先から表通りまで車で行き来できる。
ここが開通すると、いよいよ春だという実感が湧く。
道は人を招き、内にいるものを広い世界へと誘う。

朝はツルツルに凍りついてとても歩けなかった道も、昼前には乾いて人が出てきた。
一面の雪を渡ってくる風は冷たく、また今夜は少し降るようだが。
ここまでくればもう後戻りはないと、光の強さが教えてくれる。

季節が大きく変わっていくこの時期は、いつも物憂い。
暗いトンネルからようやく抜け出せるというのに。
期待よりも不安な感じでいっぱいになるのはどうしたことだろう。

ふと、一篇の詩を思い出した。
久しぶりに読みたくなって、長らく触れなかった本棚から古い詩集を取り出す。



わたしを束ねないで      新川和江

わたしを束(たば)ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂

わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください 私は羽撃(ばた)き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください 私は風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく一行の詩

(『現代詩文庫64 新川和江』思潮社、1975)



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10代の頃、友人と詩集を作っていた。
詩集といったって、手書きの原稿を安いコピー屋で印刷し、ホッチキスで閉じただけの薄っぺらいものだ。まだパソコンはなかった。
それぞれが何篇か書いて、表紙は私が担当した。
「これじゃあんたの作品じゃん。これ、2人の詩集だよ」
ダメ出しされて表紙は描き直したが、肝心の詩についてはお互い何も言わなかった。

創刊号を、新川和江さんに送ったことをよく覚えている。
「怖いもの知らずってすげぇな」と知人に呆れられたが、なんと、お返事をいただいた。
葉書に美しいペン字で、感想と励ましの言葉があった。
あんたが持ってなよ、と友人に譲ってもらったのに、どこかに紛れて失くしてしまったのが残念でならない。
その友人とは喧嘩ばかりしていた。
いつしか疎遠になり、2人の詩集も数号までで自然に消えた。
彼女の詩が好きだった。


「わたしを束ねないで」を読むたびに、私は深呼吸する。
縮こまっていた胸が開かれる思いがする。
束ねられてむしろ安心している部分もあることに気づいてどきりとする。
それでいいのかと問いかける声が聞こえる。
行き止まりのない道をずんずんと歩いていきたくはないか。
どこまでもどこまでも、自分の足で、と。




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by kotoko_s | 2017-03-13 14:30 | 読む | Comments(8)
凍った雪の下に春が来ていた。


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雪解け水、ふきのとう、土の色。




メイ・サートンの『70歳の日記』(みすず書房、2016)から。

「ベッドの中で除雪車がいつ来るかと耳を澄ましていたら、パニック発作に襲われてしまった。自分のばかさかげんに呆れてしまう。涙を流しながら起き上がり、もう一度タマスをさっきのところに出してやろうとした。タマスのことも心配、そして餌やり器に近づくこともできない鳥たちのことも心配だった。そのうえ、除雪車は来るには来たけれど小道の雪はどけてくれなかったことも、パニックをさらに悪化させた。こんなに動揺する自分がばかに思える。歳のせいだろうか。なんといってもここはニューイングランド。この地で暮らすには、がまん強く頑強でなければならないのだ。」

「昨日は一日中、気が滅入っていたわけではない。タマスの散歩をしていたら、頭の上のほうでネコヤナギが輝いている。高い枝から銀白色の花穂が出ているのが見えた。それからテラスでも、去年、硬い氷を破って出てきたスノードロップが、まだ雪が残っている隅のほうから顔を出している。魔法としかいいようがない。」


雪深く冷たい風の吹きつける海辺の家で、晩年の作家はひとり暮らしている。
タマスというのは飼っている犬のことだ。
誕生日が同じということもあって、メイ・サートンは私にとって特別な作家のひとりである。
大雪に難儀する様子、鮮やかな春の訪れに胸躍らせる日など、
海辺ではないがやはり厳しい自然の中にいるものとしては思わず頷いてしまう。

メイ・サートンは1912年ベルギーで生まれる。
4歳のとき、第一次世界大戦の戦火を逃れ両親と共にアメリカに亡命した。
その後はニューイングランドで暮らし、1995年に亡くなった。
詩人であり、作家であるが、この本のほかにも何冊か日記を書いた。
日々の小さな出来事や思索を記録したこの人のシンプルな日記が、私はとても好きだ。
繊細で飾り気のない人柄、嘆きや怒りも率直に表現する人間くささ。
魂の気高さ、自然や人への温かなまなざしがどの本にも溢れている。
「独り居中毒患者」と自らを呼ぶ作家は、だからひきこもっていたかというと、そうではない。
友人や隣人を大切にし、見知らぬ人々の求めにも誠実に応じようとしてしばしば疲労する。
独りで居ることを愛し、内省のときを何より大事にした。
お会いしたかったなあと思う。できるはずもなかったけれど。


あとがきから。
「私にとって書くことは、自分に何が起きているかを理解する手立てであり、困難な問題を考え抜くための手段なのだと思っている。これまでに書いた本はすべて、自分が答えをみつけたいと思っている問題から生まれたものばかりだ。混沌(カオス)のなかから秩序を見出すことが、繰り返し必要になるのかもしれない。芸術は秩序―でもそれは、生のカオスのなかから生み出されるものだから」

                          *

今日は雨。低い灰色の空は今にも雪に変わりそうだ。
こんな日に暖かな部屋にいられることを有り難いと思う。
せっかく顔を出したふきのとうは、また重い雪の下に隠れてしまうだろう。
雪や暗い空、様々なことに心が押しつぶされそうなときも。
見えないだけで、春はそこにきっと待っているのだ。


        
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by kotoko_s | 2017-02-23 13:44 | 読む | Comments(7)

ひなのつき

今日は3月3日だが、私は今年も何もしなかった。
どういうわけか、昔からお雛様に関心がない。
だから先日、母から「あなたのお雛様、持っていったら」と言われて吃驚してしまった。
お雛様、あったのか。
昔、伯母が、ガラスケースに入ったお内裏様とお雛様を買ってくれたという。
しかし、それがわが家に飾られていた記憶がない。
母もそういうことに無頓着なひとではあった。

ひなまつりの写真が1枚、残っている。
部屋の壁際に、箱を階段状に重ね布をかぶせたひな壇がある。
そこに並んでいるのはキリンやブタ、サルなどのぬいぐるみ。
その前で、おかっぱ頭にリボンをつけた着物姿の私が
首を傾げて笑っている。
白黒写真だが、その着物の色は鮮やかに覚えている。
赤いつやつやした地に、黄色や白や水色の大きな水玉が描かれていた。

ひなまつり、というと毎回聞かされる話がある。
弟が生まれてまもなかったから、私は3つになる頃だったか。
祖母がひな飾り(ぬいぐるみだが)の部屋に入ったら
ひな壇の下に寝ていた弟がまっ赤な顔で泣いている。
なんと、鼻の穴にひなあられが詰められていた。
犯人は、私である。
着物の色柄ははっきりと覚えているのに、こちらの悪事はまったく記憶にない。
「子どもなんてそんなもんよ。穴があればナンカ入れたくなる」と母は笑うが
幼かった「姉」の私が、突然現れた弟になにも感じなかったかどうか。

このごろは頭もだいぶ寂しくなりお腹も出た弟に会うと
「アネキには何回も殺されそうになったんだぜ」とニヤニヤされる。
坂の上で弟の乳母車の手を放したり
裸足で遊ぶ弟のそばで裁縫の宿題を広げ針を落としたり
弟も覚えているはずもないが、まあ、オソロシイ姉だったねぇ。



お雛様に特別な思い入れのない私だが、おひなさまの本はいくつか心に残っている。
「三月ひなのつき」(石井桃子 作 朝倉摂 絵 福音館書店)が好きだった。
空襲で焼けてしまった大事なおひなさまを忘れられず、新しいものが買えない母。
自分のおひなさまが欲しい、と言い出せない娘。
3月3日に逝った父。
手元にないのでうろ覚えだが、毎年、この時期になると思い出す。
今度、実家に行ったら持ってこようと思う。


三月ひなのつき (福音館創作童話シリーズ)

石井 桃子/福音館書店

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by kotoko_s | 2016-03-03 15:42 | 読む | Comments(12)

古典を読む

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友人に薦められて須賀敦子の「塩一トンの読書」(河出書房新社 2003)を読んだ。
須賀敦子は、好きな、というより特別な存在だったが、これは知らなかった。

「塩一トンの読書」という魅力的な題名の理由は最初の頁で明かされる。
「ひとりの人を理解するまでには、すくなくも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」という、作家の姑の言葉。
本、とくに古典を読むことについても、人間同士のつきあいに似ている、と作家はいう。

「読んだつもり」になっていた本をじっさいに読んで、そのあたらしさにおどろくこともすばらしいが、ずっと以前に読んで、こうだと思っていた本を読み返してみて、まえに読んだときとはすっかり印象が違って、それがなんともうれしいことがある。それは、年月のうちに、読み手自身が変るからで、子供のときには喧嘩したり、相手に無関心だったりしたのに、おとなになってから、なにかのきっかけで、深い親しみをもつようになる友人に似ている。(「塩一トンの読書」)

有名な本なので、そのあらすじぐらいはなんとなく聞き知っていて
それで「読んだつもり」になっている、という本がたくさんある。
でも、知っている、というのと、読んでみた、というのとは違う。
それは実際に本を手にとって読んでみるとはっきりわかるものなのだ。
いまだ手にとったことのない古典。膨大な量だなあ。
須賀敦子が紹介している本の中には、私でも「知っている」本も何冊かあったが
その一冊も、実は読んだことがない。

あんまり若いころに読んでしまったものも、知っているつもりの本である。

小学校の何年生だったか、国語の教科書に芥川龍之介の「蜘蛛の糸」が載っていた。
感想文を書くことになり、私は怒りながら短い感想を書いたことを思い出す。
「犍陀多が登ってきた蜘蛛の糸を、あとちょっというところでプツンと切ってしまうなんて
お釈迦様はなんて薄情なんだろう。嫌なおはなしです」というような。
先生は困った顔をされていたが、私は得意になっていた。
未熟なこころというものはオソロシイ。わからないことを嫌いだと決めつける。
私は芥川龍之介とお釈迦様を嫌いなままオトナになった。

c0323384_13142752.jpgあるとき、ふと、芥川賞というけれども、その元になった作家をちゃんと読んだことがなかったなと思い、「羅生門 蜘蛛の糸 杜子春 外十八篇」(文春文庫)を買ってきた。
何十年ぶりかであの「蜘蛛の糸」も読んだ。そして驚いた。
お釈迦様を無慈悲だと決めつけるに至ったような記述がどこにもなかったのである。
この短い物語から伝わってきたのはそんな単純なことではなくて、幼いころにはわからなかった人間のかなしさやおかしみだった。
それに、全体を包むゆったりとした明るさ。
記憶の中の印象がすっかり変わってしまった。
ほかの話もすべて面白かった。
やはり子ども時代に読んだ「杜子春」や「トロッコ」は初めて出合ったような新鮮さ。「雛」も「玄鶴山房」も好きだ。
芥川龍之介、好きかも。


私たちは、詩や小説の「すじ」だけを知ろうとして、それが「どんなふうに」書かれているかを自分で把握する手間をはぶくことが多すぎないか。たとえば漱石の『我輩は猫である』を、すじだけで語ってしまったら、作者がじっさいに力を入れたところを、きれいに無視するのだから、ずいぶん貧弱な愉しみしか味わえないだろう。おなじことはどの古典作品についてもいえる。読書の愉しみとは、ほかでもない、この「どのように」を味わうことにあるのだから。(「塩一トンの読書」)


何度も頁を戻るような読み方しかできないし、すぐ忘れてしまうのだけれど
それでもいいんだな。
何度でも読んで、そのたびに味わいたい、と思う。






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by kotoko_s | 2016-02-18 13:01 | 読む | Comments(14)

遠出

久しぶりにひとりで遠出した。
バスや列車に揺られてどこかへ行くというのはいいものだ。
本を読んだり、風景をぼんやり眺めたり、居眠りしたり。
こんな時間をもてることは本当に恵まれている。

「小さいおうち」(中島京子 文春文庫)を読む。
面白い本だった。
読みながらたびたび浮かんできたのは
私が知っている東京の風景や
そこにいた親しい人たちの姿だ。
まずこの題名で思い浮かべたのが、絵本「ちいさいおうち」だったし
その作者であるバージニア・リー・バートンの「せいめいのれきし」は
大好きで大事にしていた本だった。
文庫のおしまいに付いていた対談の中に
私自身の思い出につながる場所も思いがけず登場したりもした。

テレビで太平洋戦争のフィルムを見る。
こんなふうに、日常を送っているうちに
戦争は始まってしまったのかと思う。
戦争の話を、私がじかに聞いたのは皆、他人である。
もっと聞いておけばよかったと思うときには、その人はいないのだ。


(愛読していた本は残念ながらなくなってしまったので、復刻版を買った)
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遠出記念に本を買う。
「寺田寅彦随筆集 第一巻」と「中谷宇吉郎随筆集」(岩波文庫)。
どこかで一度ぐらい読んだのだったか、誰かに内容を聞いたのだったか。
このお二人の文章が好きだったことを思い出してよかった。

気分の冴えないとき
私は科学者の言葉を読みたくなるようだ。
理数系は苦手も苦手、学校が終われば一生、縁はないと思っていたけれど
今頃になってなんとなくそちらに引かれるのは、どういうわけだろう。
中谷宇吉郎が子どものように夢中で語る雪の結晶の話など
なるほど、と関心しながら面白く読んでいる。
この師弟の随筆は、しみじみと温かく、愉しい。

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ひとりの時間をもつことができて有り難かった。
いろいろあって、探しあぐねていた気持の落ち着きどころも
たぶん、このあたりかなと見えたような気がする。




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by kotoko_s | 2015-12-05 21:34 | 読む

あきらめる

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くだらない、つまらない、みっともないと
重々承知の上でも、怒りというのは突然やってくるので困ったことだ。
普段、努めて穏やかさを保とうとしている私のようなものは
ある時突然、キレて人が変わるので周りはびっくりぽんである。まあ、滅多にないことではあるが。

先日、どうにも抑えきれぬ腹立たしいことがあった。
一人になったとき、愛用のペンを思いきりノートにグサグサ突き立ててダメにしてしまった。
ばかである。
でも、キレた相手が人でなくて助かった。

『「聖なるあきらめ」が人を成熟させる』(鈴木秀子 アスコム 2015)

まったく余裕のないときには開けない本のひとつだが
ことが起きてから少し時間がたち落ち着きはじめたころ、手にとる。

「相手の一言一句にこだわらない姿勢」
「向上心の強い人や志が高い人ほど、頑張ることやほめられることを諦めることは辛い」
「白黒(善悪)をはっきりさせにくいことを、モヤモヤしながらも受け入れていく」などなど。
私には耳の痛いことばかり書かれているのだが。
あきらめるとは、物事に執着しない「諦め」、
そして物事を明らかにする「明らめ」。
この二つが人生を生きぬく知恵だという。
この世での苦悩も、その事実の変えられぬ事情が明らかになれば
諦めることもできる、そういうことか。

孫引きになってしまうが、こんな詩が紹介されている。


ある兵士の祈り

大きなことを成し遂げるために力が欲しいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった

より偉大なことが出来るように健康を求めたのに
より良きことが出来るようにと病弱を与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようと成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた

神の意に沿わぬものであるにもかかわらず
心の中の言い表せないものは全て叶えられた

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ

           (訳:G・グリフィン神父)




詩人で画家である星野富弘さんの絵葉書を2枚、
パソコンの前の壁に張っている。
1枚は薔薇の絵と共に
上の詩と同じ思いが書かれている。

「あなたは私が
考えていたような
方ではなかった

あなたは私が
想っていたほうからは来なかった
私が願ったようには
してくれなかった

しかしあなたは
私が望んだ何倍ものことを
して下さっていた」


神様はいつだって願うようにはしてくださらない。
なぜ、こんな理不尽なことが、としばしば思う。

でも、思い返せばすべてはよかったのだ。
こんな私にもちゃんと用意されていた。





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by kotoko_s | 2015-10-12 00:28 | 読む | Comments(11)

まど・みちおさんのこと

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まど・みちお全詩集(伊藤英治・編 理論社 2002年5月新訂版第3刷)の
『あとがきにかえて』に
この本に掲載された2篇の「戦争協力詩」について、まど・みちおさんの言葉がある。
そういった詩を書いた記憶が全くなかった詩人は、それをひとから知らされて
『まぎれもない拙作で、大ショックでした』とし、


『しかし考えてみますと、私はもともと無知でぐうたらで、時流に流されやすい弱い人間です。こういうものを書いていても不思議でないと思われてきました。が、にもかかわらず私は戦前から、人間にかぎらず生き物のいのちは、何ものにも優先して守られなくてはならないと考えていました。戦後も、戦争への反省どころかひどい迷惑をかけた近隣諸国に、お詫びも償いもしない政府のやり方に腹を立てつづけてきました。』


『一方で戦争協力詩を書いていながら、臆面もなくその反対の精神活動をしているわけです。これは私に戦争協力詩を書いたという意識がまるでなかったからですが、それは同時にすべてのことを本気でなく、上の空でやっている証拠になりますし、またそこには自分には大甘でひとさまにだけ厳しいという腐った心根も丸見えです。そしてとにかく戦争協力詩を書いたという厳然たる事実だけは動かせません。』


『慙愧にたえません、言葉もありません、と私は私の中のはるかなところから、母のように私に注がれている視線に掌を合わせて、心を落ちつけました』


『なぜ私が戦争協力詩を書いたのか、またそれがなぜ記憶になかったのか』を
まど・みちおさんは考える。
そして、この「まど・みちお全詩集」にその2編を入れることを決めたのだ。


過ちはなかったことにしたいのが人の常だ。
当時、こういった作品を書いたり描いたりした作家は大勢いた。
私たちがそれを批判し、責めることは簡単だが。
なかったことにしたいはずのことをあえて明らかにした、こういう作家がいたことに驚く。
有難いと思う。



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by kotoko_s | 2015-08-16 23:52 | 読む | Comments(0)

夏休み

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ついにエアコンを付けてしまった。
炎熱地獄の東京にいたときでさえ、扇風機とうちわでしのいでいたのに
ここにきてこんなことになるとは、といささか不満である。
育った環境にそういう便利なものが乏しかったためか
いまだに快適すぎることにわずかながらうしろめたさがある。
でも昨年の今日、義母が熱中症で救急車のお世話になって、もう無理だと思ったし
今年のこの連日体温並みの暑さにはヨメがまず参ってしまいました。
というわけで、6人のイキのいい兄ちゃんたちがノンストップで3時間、
ボロ家にピカピカのエアコンを3台(とはいかにも贅沢だが)設置し
滝の汗で引き揚げていった。


ああ、エアコンってなんて素敵なんでしょう!
真夏に初めて、裂き織用の布を裂くことができました。


               *


最近読んだ本を並べてみた。半分は再読。
でもどれも新鮮なのは、すっかり、と言っていいくらい忘れているからです。


昔、図書館司書をやっている友人が送ってくれた「さくらんぼの性は」が好きだった。
ジャネット・ウィンターソンをもっと読みたいと思ったはずが
それきり忘れていたことを思い出して
「オレンジだけが果物じゃない」「灯台守の話」を古本で買った。
「オレンジ……」もやっぱり面白かった。聖書を知っているといっそう楽しめる。
が、物語は楽しいというより、胸を掴まれるようなせつなさに満ちている。
この作家の生い立ちが強烈だ。
イギリス・マンチェスターで生まれたジャネット・ウィンターソンは孤児だった。
カルト的なキリスト教一派の熱烈な信者である養父母に引き取られる。
説教師となるべく特殊な教育を受けて育つが
15歳で女性と恋愛し教会からも家からも追われる。
以後、様々な職を転々としながら生計を立て
独学でオクスフォード大学に入学した。
「オレンジ……」には、作家自身の物語がこめられている。

「灯台守の話」は読みはじめたばかり。
またまた風変わりでどこへ連れていかれるのか、わくわくする。
しばらく随筆のような短いものしか読んでこなかったので
久しぶりに物語世界に没入できてうれしい。


この3冊の翻訳は岸本佐知子だが、私はこの人の訳が好きである。
少し前の「暮らしの手帖」に思い出の絵本という特集があって
岸本さんが選んだのは「海のおばけオーリー」だった。
うろ覚えで失礼だが、人とうまく馴染めずハードな幼稚園時代を過ごしたので
弱い子が努力して成長する物語は苦手だった、というようなことが書かれてあった。
「海のおばけオーリー」は教条的なところがない。あの暗い絵も好きだった。

翻訳家も、作家の気質というか根っこの部分に触れられる人だと
いい翻訳になるんだろうなと、日本語しかわからない私が思うのは生意気だけれども。




ドキュメンタリー映画「アラヤシキの住人たち」を観た。
「ナージャの村」「アレクセイと泉」の本橋成一監督の新しい作品だ。
信州の小谷村で共同生活を営む『協働学舎』の日常を坦々と映しているのだが
観ているうちに泣けてきてしまって、終わったあといつまでも爽やかな余韻があった。
経済や効率優先の社会ではうまく生きられない人たちが
そこでは自分自身を生きている。

アラヤシキ(新屋敷)は茅葺の家の呼称だが、仏教用語の『阿頼耶識』も思い浮かぶ。
雪深く厳しい暮らしだが、人と人の間に上下も優劣もない。
「世界はたくさん、人類はみな他人」とパンフレットにあった。
「世界はひとつ、人類みな兄弟」ではなく。
一人ひとりの世界。他人同士であるからこその、清々しさ。


               
               *



今朝、89歳の義母とじゃがいも掘りをした。
この老人を「妖怪・畑オババ」と私はひそかに呼んでいる。
畑オババは妖怪なので、人間には余計な色目などくれず、野菜語しか喋らない。
好きなことにまっしぐら、ひたむきでカッコイイ。
一緒にいる人間は少々難儀ではある。私も早く妖怪になりたい。

いつのまにか、薄の穂が金色に波打っている。
もうじきお盆。それが過ぎれば景色は次の季節へとどんどん変わっていく。

それまでもうしばらく、夏休み。


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by kotoko_s | 2015-08-02 13:04 | 読む

悪夢

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「夜と霧」(フランクル著作集1 みすず書房)を再読した。

正直に言うと、きちんとすべてを読んだのは初めてだ。
何度も読みかけてはそのたびに途中で読めなくなった。それも冒頭の解説で。
だから飛ばしながら、つまりは、ちゃんと読んではいなかった。
これは『1979年改版第14刷発行』で、訳は霜山徳爾。
70ページ近くに及ぶ解説が本文の前にあり、巻末に写真が付いている。
写真は正視に耐えない。
池田香代子訳の新版では、この解説と写真が省かれているらしい。

『ドイツ強制収容所の体験記録』を語るのに
フランクルの言葉はなぜこんなに静かなのだろう。
今回初めて、この世の地獄で行われたことの詳細が記された解説ではなく
本文で何度も立ち止まった。
今しも命が尽きようとしている女性の、カスタニエンの樹が語りかけるという話。
「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているか」という言葉。


『この病誌はまた別な形で繰り返されないと誰がいえよう。
 もしわれわれが蛇と闘わないならば……』
と、霜山徳爾が『訳者あとがき』で書いている。


この国も、悪夢を繰り返すのか。
情報を集めることもそれを分かち合うことも声をあげることも
「私たちのもの」になった、あのときとは違うと言われてきたが
なにも手にしてなどいなかったのかと思う。




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by kotoko_s | 2015-07-16 11:23 | 読む | Comments(14)

なんでもないこと

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もうすんだとすれば    まど・みちお 

もうすんだとすれば これからなのだ
あんらくなことが 苦しいのだ
暗いからこそ 明るいのだ
なんにも無いから すべてが有るのだ
見ているのは 見ていないのだ
分かっているのは 分かっていないのだ
押されているので 押しているのだ
落ちていきながら 昇っていくのだ
遅れすぎて 進んでいるのだ

一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ
やかましいから 静かなのだ
黙っている方が しゃべっているのだ
笑っているだけ 泣いているのだ
ほめていたら けなしているのだ
うそつきは まあ正直者だ
おくびょう者ほど 勇ましいのだ
利口にかぎって バカなのだ
生まれてくることは 死んでいくことだ
なんでもないことが 大変なことなのだ


          *


母の誕生日が近いので電話をする。
あのさ。お花ぐらいは送ってもいいかしら。
「いいわよー花は消えるから。あなたのカードもいいわー」
カードもいつかは消えるからね。
もうこれ以上モノは要らない、というのは実家に行くたびによくわかる。
このごろの帰省はその荷物を片付けることにほとんど費やされるが
まだ多少なりとも動ける両親と一緒に
思い出の数々をいちいち開いて手をとめるのは恵まれた時間だろう。

まど・みちおさんが童謡以外の場所で書かれた詩は特に
あるがままという在り方が、ひとつではないことを伝えてくれる。
まどさんの言葉はほっとする、安らぐというひとも多いが
むしろ私は勇気が湧いてくる。
勝手に袋小路に入り込んでしまったときなども
(そら、あなたのわき腹に新しい抜け道が)
などといたずらっぽく教えてくれるような詩人だ。


「生まれてくることは 死んでいくことだ
 なんでもないことが 大変なことなのだ」


最近の母の口ぐせでもある。
いずれは何もかも消えてしまうのに(から)
なにか手渡したい、不思議。
生きていることの、不思議。





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by kotoko_s | 2015-06-03 09:33 | 読む | Comments(4)

 あれこれ


by haru
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