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変えられることは

裂き織りのマット
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昨日、私は爆発してしまった。
手仕事の材料がしまってある引き出しを見た途端、気持ちのストッパーが外れてしまった。
こんなもの、とっといて何になる!
引き出しを開けぎっしり詰まった材料を次々放り出した。
帰宅した夫が吃驚して「どうしたんだ」
どうしたんだか自分でもわからない。
ただただ涙が出る。怒りが込み上げるが、何に対して怒っているのかわからない。
すべての場所が空っぽになるまで、手を止めることができなかった。
小さな部屋の真ん中に(機のあった場所に)山と積み上がった布、布、糸……

義母の手縫いの野良着。
夫が生まれる前に使われていた継ぎ接ぎだらけの布団側。
袖口の裏にあしらわれた明るい山吹色や臙脂色の端切れ。
草木で染めたたくさんの糸の玉。
こんなもの、どころか、どれも愛おしい宝ものだった。
私は裂き織りがほんとうに好きだった。

あんなに大切にしてきたことやモノに対して、なぜこんな乱暴な気持ちになるのか。
古いものが、使われずにただただそこにあるだけの状態が嫌で堪らなくなったのだが。
イヤで堪らなくなったのは、実は自分に対してだ。
八つ当たりして、モノたちにすまなかった。
部屋一杯に散乱したものを目にしたとき、やっぱり捨てられない、と思った。
私は疲れているんだなと気づいた。

機(はた)を処分したことが思いのほかショックだったんだと思う。
自分で決めて自分で手を下したことにショックも何もないが、そうとしか言いようがない。
趣味というにもお粗末な、「手遊び」だったが。
機に座る時間がこんなにも大切なものになっていたのかと、失くしてみて初めて知った。
好きなことがほかにあっても、機織りはそういうものとは何か違った。
たとえそこに座ることができなくても。
機があることで私の場所が与えられていたのだと、今はわかる。

うまくいかないときというのは自分の中に理由があるのだ。
一度思い切って痛みを感じないと先へは行けない。
機が、身を以って教えてくれたんだと思う。
好きなことをあきらめるなよ。
やりたいことをやりなさいよ。


神さま
変えられるものを変える勇気と
変えられないものを受け容れる心の静けさと
そのふたつを見分ける賢さを与えてください 


O God, give us serenity to accept what cannot be changed, courage to change what should be changed, and wisdom to distinguish the one from the other.

この「ニーバーの祈り」を、大好きだった祖母が大切にしていた。
私に変えられるものがあるとしたら、それは自分の弱さだと思う。
自分にとって譲れないものは、しっかり表現しないと周りには伝わらない。

改めて機(はた)に、この機会を与えられたことに感謝します。
それから、爆発するたびにのんびりと「どうした」と言ってくれる夫にも。






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by kotoko_s | 2017-03-31 12:19 | 作る | Comments(14)

別れ

機(はた)を解体した。

もともと、柔らかな服地やマフラーなどを織るのに適した機だった。
なのに私はガンガンきつく打ち込む織りをして、この機にはずいぶんと無理をさせた。
結婚後まもなく購入したから、20年近くになるが。
ひとつの道具がその役目を終えるには短すぎた。

去年、久しぶりに織ったとき、うまく織れなかった。
部品を新しいものに交換すればいいか、工夫する余地があるかとも考えた。
が、(ああもうこれで最後だな)という感じがした。
これが、この機で最後の織だな。

今の家に来る前に、夫と二人で暮らした時期がある。
長い冬。雪かきのほかは、ずっと機に座っていた。
たくさんの布が生まれ、大きな夢が生まれて。
恵まれた時間だったと思う。

いつかは本物の機を、といつも思っていた。
今の機がニセモノというわけではないが、もっと大きなしっかりした機が欲しかった。
私の織りに合う、頑丈な道具が。
知らない土地で、私は早く自分の居場所を定めたかったのかもしれない。
ちょっとせっかちに買ってしまった、玩具のようなやさしげな機。
20年、いつも傍にいてくれた。

2階のその部屋にほとんど行かなくなってずいぶんたつ。
いつでも織れるように、機は部屋の真ん中に据えていた。
解体しながら、またいつか組み立てるときがくるかもしれないと漠然と思っていたが。
どうしても抜けないネジをはさんだドライバーに力を込めたら、根元から木が裂けた。
それで踏ん切りがついた。

「いい木だ。何かに使えるぞ」と夫が言う。
何かに使ってもらえたら嬉しいが、何の役にも立たなくたっていい。
私は錆びたネジひとつだけ、とっておくことにする。


自分にとって織るという行為が、どれほどのものだったかわからない。
ただ、好きだった。
からむしを織るときも。裂き織りのときも。
機に座ると手が自然に動いて、一段、また一段。
手が、気持ちを先へ先へと運んでくれた。
機に―ありがとう、いつも助けてくれて、ほんとうにありがとう。



そこにあることが当たり前だったのに、今はもう跡形もない。
とりかえしのつかないことをしてしまった、という思いがかすかに残る。
だが、これは新しいものに出会うための必然だったのだ。
また織るのだろうと思う。いつか、きっと。





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by kotoko_s | 2017-03-26 23:00 | 作る | Comments(8)

「手仕事始めに」



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クッションカバーができた。大きさは40センチ角。
昔、裂き織でカバーを作ったときのクッションの残りが3つあったので
赤系、黄系、緑系にしてみた。
最初は新しい会津木綿でピースを裁って並べてみたが、なんだかおもしろくない。

やっぱりこれしかないなあと探したら、使えそうなものがまだあった。
義母からもらった野良着や着物、布団側など、使い古し、何度も水をくぐってきた木綿。
ほどいて洗って色別に引き出しにストックしてある。
汚れや破れのあるものは裂き織りに、きれいなところはこうしてパッチワークに使える。
こたつ掛けやボロ隠し布もこれら古い布で作ったが、とても美しいと思った。
だから今度もその仲間だ。

縞は野良着、格子は布団側、無地は着物の裏地。
汚れや破れをよけて寸法に裁って組み合わせてみたら、なかなか愛らしい。
緑色はもっと深いパチっとした色だとよかったが、これしかなかった。
藍色は微妙に違う色目を組み合わせた。ミシンが苦手なのでちくちく手縫いした。




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裏。ボタンやファスナーは面倒なので、布を重ねた間からクッションを入れる。


作っているときは楽しい、出来上がると嬉しい。
古い布が新しい姿になってくれたのもよい気持ち。
また大きなものも、作りたくなってきた。





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by kotoko_s | 2017-01-17 16:20 | 作る | Comments(12)

つなぐもの

2年越しで完成した炬燵掛けのお披露目。
190×240センチ。わが家の居間の炬燵に合わせました。
布はすべて義母と義父の着古した野良着や着物をほどいたもの。木綿です。
傷んだところは避けて、袖口の裏などに使われていた鮮やかな色もいいアクセントになりました。

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型紙に合わせて切った11枚の布を手縫いでちくちく。30センチ四方のパーツを48枚つないで。
キルトでは表と裏の間にわたを入れるのでしょうが、布だけでずっしりと重いので何も挟まない、自己流です。

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裏側も古い木綿を接いで。
手に馴染むしっかりした風合、深みのある藍色。今ではなかなか見られなくなりました。
縞は会津木綿。素朴な縞柄は明るい色のものもありますが、野良着は藍色系。藍には虫避けの効果があります。

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手を動かして何かをこしらえるのは本当に楽しい。
時間をかけて仕上げていくものには、出来はさておき、大きな満足感があります。
身近な人の暮らしを支えてきた布や道具を、私はなかなか捨てられません。
この家にきて見つけたのは、捨ててしまったら二度と見ることのない
義母の手になる暮らしの道具類でした。
こんな布つなぎや、布を裂いて織り込む裂き織りや、破れたザルに施す一閑張りなど
家族が大切に使ってきたものが、手仕事によって新しい姿に蘇るのは楽しいものです。

それぞれに物語をもった古い布が新しい一枚の布となって、今の暮らしにつながってくれました。
義母が喜んでくれたことが何より嬉しいです。



初めて作ったのはこちら⇒http://wildrosy.exblog.jp/17871482




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by kotoko_s | 2016-03-27 14:33 | 作る | Comments(32)

雪とテワッサ


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久しぶりに一日雪だった。
買物に少し遠出しようと出かけたが
真っ白、つるつるの路面に緊張してハンドルをしっかり握りながら、思い出した。
これがこの地の冬だった。

本当は手芸の専門店に行くつもりだったけれど
そんなわけで隣町のスーパーで普通の縫い糸を買って
空っぽの冷蔵庫に入れるものも少しだけ選ぶ。
車庫から家まで雪道を10分近く歩くので、この際、重いものは後回しだ。
冬はあるもので間に合わせてしまう。

帰ってから、暖かな部屋でひとり、ちくちく手を動かす。
今日は義母がデイービスでいないので、お昼もさっさと済ませて、ちくちく。
一昨年の1月に作り始めたこたつ掛けが、ようやく出来上がった。
2年越し、といっても、こうしたテワッサは冬の仕事。
外が明るい季節には、「うつむき仕事」に気持が集中できない。
長い冬があるからこその楽しみだ。

「テワッサ」とは、手遊び、と言ったら一番近いだろうか。
冬になると当地では、「テワッサやってンのか」「ちっとはな」というのが挨拶代わり。
たいしたことやってるわけじゃないよ、というはにかみを感じる好きな言葉だ。


190×240センチのこたつ掛けの材料は
主に義母から貰い受けた古い布である。
洗いざらした縞木綿の野良着や
袖口の裏にあしらわれた鮮やかな赤や黄も使った。
今は室内の灯りだけで光が足りないので
春になったら全体を撮っておこうと思う。
最後に「2016」と入れておいた。これは裏側。


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例年は雪と寒さと行事の多さで
普通の月の何倍にも長く感じられる1月だけれど
今年はあっという間に半月たった。
今日のカンジキでの雪踏みはトーチャンが1回、私が2回。
車庫の前の雪かきは、トーチャンが夕方、帰ってからしてくれた。


このブログの更新の決め事ですが。
上旬、中旬、月末あたりと、ひと月に3回ぐらいは、なんやら書いてみようかと思います。





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by kotoko_s | 2016-01-20 22:36 | 作る | Comments(14)

お彼岸に織る

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世の中ではシルバーウィークとやらの大型連休だったが
行楽はさておき、お彼岸である。
それにこのお天気続き。
近所では仕事休みの若い人も帰ってきて、稲刈りに忙しい。
秋の日は短いので、晴れた日は貴重な「稼ぎ」日和です。

線香立ての来客を迎えるため、私もどこへも出かけなかった。
行事のメモをしたノートを開いて、毎年と同じようにハレの料理をする。
彼岸の入りには団子、稲荷寿司。棒鱈を煮て、エゴも練っておく。
中日は団子、きのこごはん、天ぷら。ゴーヤ、玉葱、人参、パプリカでかき揚げ。さつま芋。
畑からもぎたての枝豆も茹でる。どの野菜も自家製なのはなんという恵みでしょう。
26日の彼岸明けには、また団子を丸め、稲荷寿司や煮物をお供えする。
しかし。お稲荷さん、ってなんでだろ。バアの指令通りにしているけれども。

今年は22日が敬老の日だった。
成人の日もいつのまにか移動してしまったが
祝日って「その日」に意味があるんだよ。経済のために本来の意味が消えていく。
どんどん大雑把になっていくなあ。
この日は義母の好きなお赤飯を蒸かして
久しぶりに銀鱈を煮た。

この家に初めて挨拶に訪れたのは、2月の雪に埋れた寒い夜だった。
「なんにもないけど食べてください」
夫になる人の母は『標準語』でそう言って恥ずかしそうに笑った。
炬燵の上に用意された料理の中に、この銀鱈の煮付けがあった。
甘辛く、ほろほろと崩れる優しい味。
この魚が高価で、普段の食卓に上るものではないことを後に知った。
銀鱈を見ると、あの晩のことを思い出す。


さて。決まりごとをちゃんと済ませれば、あとは割と暇である。
機(はた)に座って、からむしのコースターを織った。
2年ぶりの機織りだ。
からむしはイラクサ科の宿根草。この茎から繊維を引き出し、糸にして織った布が「からむし織」。
その伝統工芸を教えていただいた土地からは離れたが
その頃に作業し引いた原麻(げんま―繊維)が手元にたくさん残っている。
からむしの繊維は、本来ならばごく細い糸に績(う)み、透き通るような布を織る。
気の遠くなるような時間をかけて生まれる美しいものは、彼の地に生きてこその仕事。
だから、私はここでできることをしようと思っている。



今回、織れたもの。10×11cmのコースターが35枚。
経糸(たていと)は麻。緯糸(よこいと)にからむしの繊維を織り込んだ。
実物はもっとはっきりこっくりした色合い。
栗のイガ、クルミの果皮、クサギのガク、からむしの葉などで染めて。



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1枚ずつ袋に入れ、やさしいことばを添えて
お嫁に出します。
織っている時間がとてもとても幸せでした。



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by kotoko_s | 2015-09-23 23:29 | 作る | Comments(12)

片付けと裂き織

暖かくなって体が楽に動くからか、次々と用事ができて、春は忙しい。
冬のあいだ物置と化していた部屋を片付け始めたら
何もかも処分してすっきりしたくなった。
雪になる前に大整理したとき、迷いに迷って「とりあえず」と脇に置いたものに
ひと冬越したらなんの未練もないのが不思議。

紙類はなんとかなりそうだが、厄介なのが、衣類だ。
毎年、季節がくれば出しては、一度も袖を通さないまま、またしまいこむ。
そういう類は何度も片付けたつもりがまだまだあって、もう、今度こそやめた、と思った。
手放すことに決めたらだいぶ気分が落ち着いた。

手放す、といっても、えいやっと捨てられるものはそんなにはない。
やっぱり、「捨てる」という行為には罪悪感があって、それぞれに合った行き先を考える。
Tシャツは適当な大きさに切って台所へ。
お皿を洗う前のひと拭きや、レンジの油汚れに重宝する。
薄手の生地は裂き織やパッチワークに。
ジャケットやウール素材のきれいなものは、役立てていただけるところへ送る。

「ひと手間」を惜しまないことにも、体力、気力が必要だ。
片付けとは、頭も体も、心も使うものなり。

始めると一気にやりたくなるが、片付けはくたびれる。
疲れてやる気が失せないよう、少しずつ。
今日は思わぬ思い出に出会って、それもまたよかった。

「断捨離」というの、字面が恐ろしげで、どうもなんだかなあと思うが
堆積するものをほったらかしにしていれば、いつか必ずどうにもならなくなる時期がくる。
心が無理なく平安になれるための始末は、できることなら自分でしたい。
長らく抱えていて、今、手放す決心がついたものには
それだけの時間が必要だったのでしょう。

先日の実家での片付けの話も、また後ほど。



さて。「ダンボールで織る裂き織」の作り方。やっとこさ、下に載せてみました。
これ、材料を買わない、というところが大切です。
愛着があるけどもう着ないなあ、という服こそ、裂き織に。
どうぞお試しください。


「ダンボールで織る裂き織」
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by kotoko_s | 2015-04-25 23:00 | 作る | Comments(6)
「ダンボールで織る裂き織」の制作工程がようやく出来ました。

ほかでご紹介したらやってみたいという年配の方が多かったので
写真つきの作り方を送ろうと思ったのです。

思ったより時間がかかってしまいました。
織りながら自分で撮影したのですが、これがなかなかうまくいかなかった。
自然光で撮るために、なるべく晴れた日に、2階の窓辺に陣取って始めます。
(そこ以外、冬のわが家には明るい場所がない)
いい感じで進んでいると階下からご用の声がかかり、何度も中断。
再開すると日が翳ってくる。
一応、最後まで仕上げて写真をパソコンに取り込み、印刷してみます。

ダメだ、やっぱり。

暗くて鮮明に撮れないのです。
素材の色なども、あれかこれかと選び直して制作すること5回。

「わかればいいんだから」
出来上がるたびに見せられるトーチャンはすでにウンザリ。
ドンくさい私もさすがに疲れてきたので、改善の余地大アリでこれを最終稿といたしました。

さて。これをここでもご紹介しようと、やってみました。
結構なボリュームになってしまったので、「画像アップロード」で載せようじゃないか。
ところが。このまんまではダメだったのです。
もうひとつ何かしないとアップロードできないらしい。

あー。
やっぱり、記事に直接書くのが簡単だねぇ。

ここまでくるのに相当なエネルギーを使ってしまったので
ここでは、また、のちほど。



これはと思うといつまでもやっている。
やり出すと集中しすぎてほかのものがまったく見えません。
おそろしくマイペースなのは、牡牛座の特徴だそうです。

毎回、原稿がギリギリで大迷惑をかけながらいっこうに反省のない先生、
という話を先輩から毎回、聞くたびに(牡牛座だからねえ)と思うばかり。
あ、私は期限は守りますよ。

とりあえず、ひとつ終わって、めでたし。 

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関係ないですが、今日のうれしいニュース。
萩本欽一さんが駒沢大学に入学したんですって。
すごいなあ。73歳で大学生。仏教を勉強するそうです。野球部にも入りたいって。

学びたいという気持は、年を重ねていくと、より強くなるのではないかしら。
脳は、使えば使うほど元気になるというし。
励まされるなあ。

欽ちゃん、おめでとうございます。すばらしい。
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by kotoko_s | 2015-04-08 16:58 | 作る | Comments(4)

つながっている

3月になった。
今冬は雪が多かったので、ようやくここまで来た、と書きたいところだが
それは2月の終わりごろの気分なのだ。
3月というのは不思議な月で、ここまでくると気持が変わってしまう。
卒業とか、年度末とか、異動とか、節目の時期というイメージが強いからか。
とりたてて大きなことがあるわけでもない私でさえ、さあ、3月!と思う。

この一年は、週に3日のアルバイト、時々ダンボール織ワークショップ、という生活だった。
図書室の管理をしたり、子どもたちと過ごしたり、手仕事を楽しんだり
好きなことをたくさん、させてもらった。
「大きくなったら○○になりたい」と、遠い将来に夢を描いていた頃の私が
今の私を見たらなんて思うかな。
なりたかったものにはなれなかったが、
よく見ると、そう遠くはないところにいるんじゃないでしょうか。
当時、夢みていたものになるより、今のほうがよかったとさえ思う。
まあ、夢を実現するには多大な努力と、まずは才能が必要ではあったが。


最近は、どこに行ってもダンボール織のことばかり言っていて
ちょっとおかしな人になっているだろうな、という気もするが、仕方ない。

もう8年ぐらいたつのか、1年ほど家を離れて療養したことがある。
うつ病だ。
子どもの頃から、なんでこんなに生き難いのかと苦しかった。
あとになって色々と自分のことがわかって対策も学んだわけだが、当時は真っ暗闇。
出口のない暗く冷たいトンネルにたったひとり、うずくまったまま動けなかった。

縁というのはそういうものだろうが、よくぞここに繋がっていたと思うような道をたどって
私にぴったりな場所でゆっくり休み、学ぶことができた。
そこで子どものように甘えさせてもらって、心も体も少しずつ元気になってきた頃
「今度はあなたが、みんなのために何かできないか」と主治医に言われた。
思いついたのが、ダンボールを使った裂き織だった。

ひきこもりがちな人、言葉の出ない人、おしゃべりの止まらない人、音に過敏な人、
体に触れられるのを恐れる人、ハグして離れない人、様々な依存症、精神疾患、神経症。
そこには、いわゆる社会適応の難しい人ばかりがいて、私はとても安らいだ。
ひたすら、人のために布を裂いている人もいれば、作品をどんどん仕上げる人、
この無口、無表情な人のどこにこんな個性があったのかと驚くような鮮やかな色使いをする人、自分では作らないのに、みんなの作品を黙々と展示していた人など。

自分の手からたったひとつの作品が生まれることは楽しい。
そこが安心して居られる場所となってくれたことも、私には大きな喜びだった。

このワークは、とても多くのことを教えてくれた。
人は、互いに支えあっているのだという当たり前のことが実感できた。
「やらねばならぬ」「かくあるべき」がずいぶん強かったことに気づかされた。
自信のない自分が情けなかったけれど、いいじゃん、これで、と笑えるようにもなった。
そうしたら、人のこともなんだかみんな、いとおしくなった。


あまりにもその場所が居心地よくて、実は本気で、もうここには戻れないと思ったけれど。
戻ってこられて、本当によかったと思う。
待っていてくれた家族や、友人や、ご縁のあった人たちに
今度はここで、恩返しをしたいと思う。


だから、「ダンボール織、楽しいですよ、やりませんか」としつこく言ってしまうわけでした。
先日、然るところで紹介したら思わぬ反響をいただいて、驚いた。
みなさん、女性である。
家の中で自分を差し出すことの多い女には、
傍らの小さな手仕事が気持の救いになることがある。
雪が消えたら、訪ねていって、一緒にできたらいいなと思う。

うつ病になったことは、私の人生の最高の宝だった、と今は思います。


さあ、3月。はじまりへとつながる季節です。
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by kotoko_s | 2015-03-08 11:29 | 作る | Comments(12)

試作

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今日は一日、曇天です。
冬の室内撮影は難しいなあ。どうにも光が足りません。
この写真も、倍は鮮やか、深みのある色なので残念ですが、一応、記録しておきます。


これはダンボール織の試作です。
青いほうは、コンパクトデジタルカメラがすっぽり入ります。
房は、たて糸の毛糸をそのまま結びました。

赤いほうは、タテ糸が細い水糸です。
こちらのほうはそっけない白い糸なので、裏側に織り込んで見えないようにしました。

このふたつのタテ糸の違い。
だからなんだ、というようなことなのですが
私にとっては「はっ」としてニンマリするぐらいの発見でした。

昔から織られていた裂き織は、ごく細い綿糸をタテ糸に使っています。
私も、通常の機織りで裂き織をするときは、1センチに10本はタテ糸を通しています。
なので、ダンボール織といえども、裂き織には細い糸よね、と思い込んでしまった。

でも、ダンボールって、当然のことながら、あんまり細かい作業ができません。
タテ糸の間隔も、せいぜい5ミリ。1センチぐらいにすることもある。
昨年、年配の方中心のワークショップを初めてやったとき
細い糸をすくっていくのが目に負担となった方がいて
ならばもっと広い間隔にしたらどうか、
イヤ、そうなると織り目が不安定になるよなあ、とか、あれこれ考えていたのです。

しかし。そういえば、子どもたちが織るときは毛糸じゃないか。
(子どもは裂き織ではなく、全部毛糸でダンボール織を楽しんでいます)
そこで同じように、太めの毛糸をタテ糸にして裂き織をやってみたら
ぐんと作業が楽になったのです。

なあんだ。
思い込みって、ばかばかしいですねえ。
毛糸なら縁の始末もいりません。楽ちんな上、可愛いじゃないですか。

それからもうひとつ、気づいたことがあります。
私は自然素材が好きなのです。
すぐ痒くなるからというのもありますが、化繊ってヤツに偏見をもっておりまして
中でもアクリルが大の苦手。
それが、手仕事の素材選びのときにも無意識に反映されていたのでした。

ダンボール織は、誰でも、どこにいても手に入りやすい材料で
気軽に楽しめるのが身上。
多くの方に紹介する場では、自分自身のこだわりはひとまず脇におく。
そんなことにも気づかされました。

さあ、次のワークショップの準備もできました。
雪解けのはじまった山の公民館で
優しいおばちゃんたちとまたワイワイおしゃべりしながら
手を動かすひとときを楽しみにしています。

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by kotoko_s | 2015-02-26 15:06 | 作る | Comments(6)

 あれこれ


by haru
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