2017年 09月 03日 ( 1 )

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9月の声を聞いたとたん、肌寒くなった。
晴れ渡った空をどこまでも雲が流れてゆく。風がひんやりと心地いい。
庭先の水場でサンダルの底を洗う。
からりと乾いたあと、磨いて箱にしまった。
もう夏は終ったのだ。

衣替えをしながらふと思い立ち
「開かずの箪笥」の引き出しを開けてみる。
そこには昔の日記がぎっしり詰まっている。
結婚祝いにいただいた分厚い10年連用日記に、B6版ノートが20冊余り。
何度か読み返したそれらを部屋の真ん中に全部積み上げ
久しぶりに開いてみた。

腹が決まった。
捨てよう。

いつかは処分しなくちゃ、と思ってはいたが。
そのたびに、やっぱりもう少し置いておこう、捨てるのはいつでもできるし、とまたしまいこんだ。
読み返すと当時の情景や気持がよみがえって胸の底がうずく。
良くも悪くも自分の軌跡に違いないのだから大切にしなくてはと思う。
「その時の言葉」はいつ読み返しても、捨てるに忍びなかった。

それが今回は不思議なことに、あっさりと気持が決まった。
入院したこともきっかけのひとつになったのかもしれない。
もし、ある日、急に自分で自分のことができなくなったら。
それが今日だとしたら。
そう思ったら、古い日記を捨てることに迷いがなくなった。

1ページ破くとためらいはすっかり消えた。
腱鞘炎になりそうな指をさすりつつ、ひたすら破いては紙袋に詰めた。
ぎゅうぎゅう詰めにして3つの小さな袋に収まった私の20年間。
新しい季節を迎える前に、大きな宿題を片付けたようにさっぱりした。



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                トチの木



ノートの中には、本から書き写した言葉もたくさんあった。
この詩も。


峠   真壁 仁

峠は決定をしいるところだ。
峠には訣別のためのあかるい憂愁がながれている。
峠路をのぼりつめたものは
のしかかってくる天碧に身をさらし
やがてそれを背にする。
風景はそこで綴じあっているが
ひとつをうしなうことなしに
別個の風景にはいってゆけない。
大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける。
峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい。
みちはこたえない。
みちはかぎりなくさそうばかりだ。
峠のうえの空はあこがれのようにあまい。
たとえ行手がきまっていても
ひとはそこで
ひとつの世界にわかれねばならぬ。
そのおもいをうずめるため
たびびとはゆっくり小便をしたり
摘みくさをしたり
たばこをくゆらしたりして
見えるかぎりの風景を眼におさめる。




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「ひとつをうしなうことなしに
別個の風景にはいってゆけない。
大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける。」


生きてゆくとは痛みの連続なのかもしれない。
大きな喪失と呼べるほどの痛みを、私はまだ味わっていないとも思った。
まだ、あたらしくなれる、とも。

自分が記した言葉は確かにいとおしかった。
あの膨大な言葉は、日々、明日へと一歩踏み出すための必然だった。
よくがんばってきたじゃないかと思えた。
だからもう、書いたものはここになくても大丈夫になったのかもしれない。







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by kotoko_s | 2017-09-03 13:23 | 読む | Comments(16)

 あれこれ


by haru
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