遠くへ

今年5月に帰省したときの父母の庭  
父と母がこの土地に初めての家を構えたときに
植えた石楠花(シャクナゲ)も大きくなりました。

わが家はずっと、借家を転々としてきたのです。
この家を建てたとき、母は50歳。車の免許をとりました。



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木の足元を埋めるツルハナシノブ


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ツツジもきれいだったね。
薔薇はこれからだった。
母は「こんな山の中に、薔薇なんて」と言っていましたが。
父は、どうしても薔薇を植えたかったのです。
たぶん、生家の庭が忘れられなかったのだと思う。

ブルーベリーも今頃、実をつけたかな。
鳥が食べに来てるかな。

父も母も、草花や木や、野鳥が大好き。
私もその好みを受け継ぎました。
子どもたちの中で「おまえさんだけだったなあ」と言われる。
私の誇りです。



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遠方にふたりで暮らす両親がいよいよ
老いの道を駆け足で進んでいます。
私たち子どもは。
よかれと思ってしたことを叱られたり、泣かれたり。
たまに笑顔をもらったりしながら
毎日、電話やメールで情報交換する。
格別仲がよかったわけでもないきょうだいが、このごろは
父と母のことばかり話すようになりました。

飛んでいけるものは飛んでいく。
行けないものは、こうして。
日に何度もかかってくる母の電話を受けられる幸せを感じています。


お父さん、お母さん。
おかげさまで私たちは幸せです。
なんにもできない・・・・・・けれど。
こうして今、このときを
かけがえのない時、と大切にできることを
教えてくださってありがとう。





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# by kotoko_s | 2017-07-15 00:04 | ある日 | Comments(12)

桑の思い出

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桑の実が黒く熟す季節になると
こんなところに桑の木があったのかと、初めてその存在を知る。
桑の葉を見ると思い出すことがある。
小学校1年のとき、同じ組の女の子の家に、時々遊びに行った。
特別に仲がいいというわけではなかったが
その子は私に優しくしてくれた。

引っ越してきたとき、近所を歩いていたらいきなり石が飛んできた。
振り向くと草むらの中に男の子が立っていて、「ばーか」と言った。
私は都会からやってきた異邦人で、見知らぬ子はそういう洗礼を受けるものだと知った。
学校にも馴染めなかった。
山の中を歩いていく長い長い帰り道には
きまって洟垂れ小僧が待ち伏せしていてうんざりした。

同じ組の女の子は(名前も忘れてしまったが)優しかった。
無口で、あんまり笑うこともなかったが。
いつものように男の子たちにかまわれたあとの私を
その日もそっと待っていて、一緒に帰ってくれた。
その子の家は大きな農家だった。

「おかいこさんがいるから」と言った、「だから入れないの」。
家の門をくぐったところの敷居の前に並んで座った。
今は家中、お蚕さんなの。
だから、人は狭いところでそうっとしているのだと言った。
ちょっとだけ、見る?と言われたが、家には入らなかった。
そこらじゅうから、「さわさわさわさわ」と
静かな雨の降るような音が聞こえた。
蚕が桑の葉を食べているのだと、教えてくれた。

しばらくすると、奥からその子のお母さんが
おむすびを持ってきてくれた。
大きな、まっ白なおむすび。
何か入っているかと思いながら食べたが、何も入っていなかった。
私は、何も入っていない塩むすびを、そのとき初めて食べた。

母の握ってくれるおむすびには梅漬けが入っていた。
正確にいうと、カリカリの梅漬けを細かく刻んで、ごはんに混ぜて握ったものだ。
桜の花びらが散ったようにきれいなその小さなおむすびを
「桜のおむすび」と私は呼んでいた。

大人になって家族におむすびを握るたびに
あのまっ白な、何も入っていない大きな塩むすびと
母の小さな桜のおむすびを思い出す。
どちらも、大事なわたしの思い出。


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歩いて帰る道すがら、まっ黒に熟れた桑の実を頬張った。

幸せな、信州の思い出です。




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# by kotoko_s | 2017-06-21 23:49 | ある日 | Comments(10)

ダメなんですか?

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先日、ドラッグストアの化粧品の棚をなんとなく眺めていたら
美容部員らしき女性がすっと近づいてきた。
紫外線対策のあれこれをお勧めしますよ、というわけだが
その彼女の顔がぎょっとするほどまっ白なのだ。
今日は急いでいるのでまた、とその場を離れようとすると
能面のような顔で薄く笑って
「手の甲のシミが目立ちますが」

たしかに、私の手の甲にはぽつぽつと薄茶色のシミが浮き出ている。
六十近くもなればそんなの当たり前じゃないか。
鉛筆みたいにやせっぽちの彼女はまだ20代後半か。
人生の先輩に対してもうちょっと優しい言い方ができないものかねえ。
いや、彼女のように若いころからまっ白に塗っていればよかったのかねえ。
なんだか「あなたはそれじゃダメ」と言われたようでしょんぼりして帰ってきた。

数年前、ジーパン屋で選ぶのに迷って
そばにいた若い女性の店員におそるおそる悩みを打ち明けた。
なぜか若い子のいる店では卑屈な気持ちになっていけない。
太腿が張っているんですが、合うのないでしょうか。
「それはウチのじゃちょっと厳しいですね」

たしかに、キビシイかもしれない。
だが、もうちょっと言い方ってものがあるような気がするよ。
ここでもまた「あなたはそれじゃダメ」と言われたようでがっかりした。

若い子の店に入るからいけないのかもしれない。
しかし、店自体が選ぶほどないのである。
お世辞を言えとは言わないが、もうちょっと気持ちよく会話できたらいいのに。

昨日、もう怒りません、と思ったが。
別に怒っているわけではないが。
なんとなくもやっとしたので書いておきます。





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# by kotoko_s | 2017-06-17 08:24 | ある日 | Comments(14)

たいしたことではない

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先日、インターネットで古本を何冊か注文したら、一冊が汚れていた。
「表紙に少しシミあり」という説明も承知の上だったが
これを「少し」といいますか、と言いたくなるような濃いシミ。
イヤな気持ちになりすぐさまきれいな包み紙でカバーしてしまった。
中を開くと数ページ目に、ルビが書き込まれている。しかも赤いボールペンで。
そういえば、書き込みナシ、とは書いてなかったなあと後悔したが仕方ない。
せめて鉛筆にしてほしかったが、それよりも吃驚したのはそのルビが間違っていたことだ。

「詠って」というところに「よむ」とふってある。
「って」はどうするの。
「うた」だよ、きっと、この場合は。
「よむって」と読んだのかなあ、まさかなあ。
辞書で調べて「よむ」と読むんだね、と知ってメモしたのか。
ぶっきらぼうな赤いボールペンのひらがなが
この本の最初の読者を想像させてちょっと可笑しくなった。

私だってたまたまこの字を知っていたというだけで
ほかの何万という言葉を知らずに平気な顔して生きているのだ。
表に出ない分、恥をかく機会がないというだけである。
あ、ここでやっているかもしれないですね。



午後の朴の木。田中一村の絵を思い出した。
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雑誌の編集をしている友人が、取材した人物の名前を間違えたまま載せてしまった。
人名というのは校正でも特に緊張する部分ではなかろうか。
それでもこういうことはあるのだ。
友人は真っ青になってすぐさま電話をかけ平謝りに謝った。
すると相手はこともなげに言ったそうだ。
「私はそういうことはまるで気にならないんですよ。だからあなたも気にしないで大丈夫」

申し訳なくて恥ずかしくてありがたくて、と友人は涙ぐんで言った。
似たようなことを経験しているから、その気持ちはよくわかる。
それなのに、自分の至らなさを忘れて私は結構、他人に厳しい。
相手の勘違いをいつまでも覚えていたり。いやらしいよなあ、と恥ずかしくなった。
たいていの間違いはたいしたことではないのだ。

名前を間違えられても「まるで気にならないんですよ」とさらりと言って
恐縮している相手を救う。
そんなおおらかな心持ちに私もなりたい、と思ったことでした。




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# by kotoko_s | 2017-06-14 16:29 | ある日 | Comments(10)

薔薇子ちゃん

今年もヤマナシの花が満開。

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5歳まで、父の家にいた。

私が生まれたとき、祖母は私の父と母に提案した。
「この子の名前ね、バラコちゃんはどうかしら」

庭の薔薇がこんなにきれいなときに生まれたから、と祖母は嬉しそうに言ったという。
薔薇子。なんだか、すごい。
私の名前は、男の子でも女の子でも、これにしよう、と両親が決めていた。
この名前を私は気に入っているが、祖母に「薔薇子ちゃん」と呼ばれてみたかったな、とちょっと思う。

仕事に忙しい両親の代わりに、私と多くの時間を一緒にいてくれたのは祖母だった。
家の裏の保育園には、毎朝、祖母が連れていってくれたのだろうか。
初めての集団生活は恐ろしかった。
すべり台の頂上にしゃがみこむとドンッと背中を押され、地面に投げ出される。
上履きを履こうとすると、ない。
園庭の下を流れている川のほとりに落ちているのが見つかった。
音楽に合わせて体操するのが恥ずかしかった。みんなが笑って見ている。
と、先生に訴えたが誰も信じてくれない。
私は毎日、持って行ったお弁当を提げて、途中でひとり家に帰るようになった。
祖母と一緒に白黒テレビで「ローハイド」を見ながらお弁当を食べた。
ラジオから坂本九ちゃんが毎日流れていて、大声で歌った。

そういうことがどのぐらい続いたのか、ある日、私は祖母に言った。
「おばあちゃん。わたし、もうほいくえんにいきたくない」
祖母は「そう。なら、行かなくていいよ」と言った。
翌日から、私は本当に保育園には行かず、一日中、祖母と庭で遊んだ。

いつだったか、そのことを母に話したことがある。
おばあちゃんにそう言われてすごく嬉しかったこと、はっきり覚えてる。
母は笑って言った。「ちょうどあの時、引っ越すことが決まっていたからね」

そうじゃないんだ。
そんなことはどっちだっていいんだ。
「もう行きたくない」と言った私に、「行かなくていいよ」と言ってくれた、そのことが。
なんだかうまくやれず困っていた小さな私を、どんなにほっとさせてくれたことだろう。

引っ越した田舎に、祖母はよく来てくれた。
手をつないで山道を歩きながら、草花や虫の名前を教えてくれた。
薔薇の木の下で一緒にしゃがんで、おしゃべりしたときと同じように。


誕生日がくると、細面で美しかった祖母の笑顔を懐かしく思い出す。
母は私には遠く感じられるほど、祖母との思い出が濃い。
だが、大人になってから気づいた。
離れて暮らすようになっても祖母と度々会えたのは
母と姑であった祖母が親しく行き来していたからだったのだと。






「ローズ」という歌がとても好きだ。
弱っているとき、そっと背中を撫で力をくれる。
なんだかうまくやれない「薔薇子ちゃん」を
信じて見守り続けてくれた、祖母を思い出す。





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# by kotoko_s | 2017-05-06 09:24 | ある日 | Comments(10)

 あれこれ


by haru
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